ひとやすみ『日本語が消滅する』(前編)

 たまに読んだ本の感想などを書いている。今回は『日本語が消滅する』(山口仲美著 幻冬舎文庫 2023年6月30日第1刷)の一部について。

 本書では、世界の言語状況や、言語・文字の効用を俯瞰したあと、すでに消滅した、あるいは消滅しつつある言語について消滅の背景や経過などとともに述べ、日本語もまた消滅する可能性があるのだと危機感を訴える。

 途中まで読んだのだが、第三章「言語消滅の原因は何か」では言語が消滅する原因を以下の5つにまとめている(p101)。
①自然災害や大量虐殺、疫病や強制労働などによって、話者が全滅してしまった時
②同化政策が実施された時
③自発的に多言語にのりかえた時
④征服者が被征服者の言語に同化した時
⑤別の言語を派生させ、役割を終えた時

 ③「同化政策が実施された時」の項では、同化政策では同化させたい共同体の子供たちを親元から隔離し、母語をシャットアウトすると述べている。日本の例としてアイヌへの政策を挙げ、アイヌ語の使用や伝統的生活を禁じ、生活習慣も文化も奪ったこと、学校(旧土人学校)では教育はすべて日本語で行われたこと、子供の将来のために親はアイヌ語を積極的に教えず、アイヌ語は消滅の道をたどったことなどが書かれている。(p89-90)

 続く「同化政策で受ける心の傷」では、同化政策は、教育の場で子供たちに自分たちの言語は劣っていると思い込ませ、強国(支配側)の言語を使うよう仕向ける、メディアもこれに加担し、子供たちは自分たちを否定されたような心の傷を負う、と述べる。(p90-91)

 わたし自身大学で外国語を専攻し、言語については関心が高い。いや、言語に関心があるから外国語専攻を選んだとも言える。その原点はもしかすると、生まれてから周囲にあふれていた鹿児島弁(中でも、地域に特有のことば)と、学校で教わり、テレビやラジオから「こちらが正しいですよ」と言わんばかりに流れてくる標準語との違いを考えることにあったのかもしれない。

 本書ではアイヌへの政策を挙げているが、沖縄の「方言札」も有名だ。琉球国が日本に併合されたあと、沖縄では標準日本語の使用が進められた。学校では沖縄語を(うっかり)しゃべった子供には「私は放言を使いました」などと書かれた板きれなどを首から下げさせ、一種の見せしめにしたという。別の子供が沖縄語をしゃべると札を譲る仕組みで、ババ抜きのババのように子供たちの間を循環したようだ。方言札の使用は1970年代まで続いたとも言われる。

 日本における言語差別はアイヌ、沖縄だけと思われている節もあるが、その二つは目立った代表例であって、わたしが子供の頃の鹿児島でも似たり寄ったりの状況はあった。概ね昭和の後半、1950年代後半から1980年代ぐらいまでだろうと思う。

 イントネーションが独特な鹿児島弁に囲まれる言語環境にあって、学校では「標準語を話しましょう」と教えられた。この場合の標準語とは、教科書を読んだり発言したりするとき、鹿児島のイントネーションながら、方言独自の単語や語尾は使わない、というもの。つまり、文字で起こせば教科書やラジオ放送みたいになるのだが、イントネーションは鹿児島弁、という折衷のものだ。

 それを小学校低学年から叩き込まれるので、学校、少なくとも教室という「公」の場で方言そのままでしゃべることには、罪悪感とまでいかなくても恥辱感を覚えるようになる。友だちや先生から「標準語をちゃんとしゃべれない」という烙印が押されるのだから。(後編へ続く)


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