ミヨ子さん語録「換えぢょか」(補足)

  昭和中~後期の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。たまに、ミヨ子さんの口癖や、折に触れて思い出す印象的な口ぶり、表現を「ミヨ子さん語録」として書いてきたが、そのひとつ、前項で挙げた「換えぢょか」への補足である。(「換えぢょか」とは、茶葉を入れなおしてお茶を淹れること、あるいはそうやって淹れたお茶を指す)。

 一般的に煎茶は、淹れる都度急須に残ったお茶を全部注ぎ切る。煎茶の茶葉自体繊細というか緑色で柔らかく、いかにも「緑茶」という感じだ。しかし、ミヨ子さんが暮らしていた鹿児島の農村でふだん飲んでいたお茶は、もっと硬くて大きく、急須の中でごわごわに広がるものだった。お茶の色も緑というより黄色に近い。お湯にうっすらお茶の匂いがするくらいでも「お茶」として飲んでいたのだ。都度注ぎ切るとは限らず、急須――往々にして大きな土瓶――に残って冷たくなったお茶をあとで水代わりに飲むこともあった。だから「換えぢょか」は日に何回もしなかったのだと思う。

 そもそも昭和40年代くらいまでは自分の畑に植えた茶の木から葉を摘み、茶葉を自家製していた家も多かった。ミヨ子さんも、姑のハルさん(祖母)の指南の下、一年分のお茶を自家製していたが<221>、自分の家で作るとはいえ、飲めるようにするのに手間のかかる茶葉は大切に使っていた。 

 「換えぢょか」の必要があるほどお茶が出がらしになると、ミヨ子さんは「ぢゃ」と呼んでいた。もうちょっと出るかも、と思って茶葉を換えずに入れたお茶が色も味もなくてがっかりしたときなど「ぢゃじゃったね(出がらしだったね)」と言って笑っていた。もちろん、お客さんにそんなものは出さない。女ばかりの食事やお茶で手間を惜しんだときのことである。お茶の出がらしがひとこと「ぢゃ」。なんとも簡潔で、語感もぴったりだ。

 余談だが、のちにわたしは仕事で中華圏と行き来するようになった。その都度烏龍(ウーロン)茶など現地のお茶をいただいたが、あちらのお茶は茶葉を入れた急須や茶杯(ふたつきの茶碗)に、何回もお茶を注ぎ足しては一日中飲む。その飲み方や茶杯などの中で茶葉が大きく広がった様子が、故郷の農村のお茶に似ていて興味深かった。

 noteを書く中で鹿児島弁の確認の際しばしば参考にさせていただいている「鹿児島弁ネット辞典」によれば、急須や土瓶、鉄瓶を指す「ちょか」の語源も、中国で急須を指す「茶壺(チャフー)」だとあり、お茶といえばなにかと中華圏とのつながりがあるようだ。<222>

 ちなみに前述の「鹿児島弁ネット辞典」にも「換えぢょか」や「ぢゃ」はない。

<221>お茶の自家製については「七十三(茶摘み)」で述べている。
<222> 「チャフー」が「ちょか」。H音がK音に変わるだろうか? という疑問もあるが、関ヶ原の戦いで西軍に加わった結果、のちの徳川幕府からさまざまに制限を受けていた薩摩藩が、財源確保のために密貿易を行っていたのは広く知られているところだ。明(当時)と交易し、大陸で使われる陶器などの日用品を手にしたり売買したりする中で、現地の名称を薩摩弁風に訛らせて使った、ということは十分あり得ただろう。
 それに、現在の標準中国語(北京官話がベースと言われる)では「チャーフー」と発音するが、日本に漢字ととも伝わった音(のちの音読み)は時代によって呉音や越音などがあり、壺の音読み「こ」に含まれるKの発音も、文字とともに伝わった音の一部だろう。薩摩藩の交易先は福建などの南方だっただろうから、茶壺は福建語で「ちょか」に近い発音かもしれない。

《参考》
 【公式】鹿児島弁ネット辞典(鹿児島弁辞典) >ちょか

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