文字を持たなかった昭和307 スイカ栽培(16)結実

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。

 このところは、昭和40年代初に始めたスイカ栽培について述べている。栽培の動機から始まり、植えつけたスイカの苗から伸びてきた蔓を整え、花が咲いたら人の手で雄花の花粉を雌花につけて受粉させるところまで書いた。受粉は5月頃だった。

 南国鹿児島、初夏といっても十分に強い日差しを受け、しかもビニールシートで覆ったトンネルの中で、受粉した実は順調に大きくなっていく。目に見えてという表現がぴったりで、二三四(わたし)は小学校の帰り道にスイカ畑に寄ってみることもあった。

 集落の外れにある畑へは、国道沿いの道から集落に入ったあたりで方向を変えればよかったが、丘のてっぺんのスイカ畑までわりと急な長い坂を上らなければならなかった。上り切って、四方を遮るものがないほどの畑に着くと、風が吹き渡りトンネルがきらきら光っていた。その中で、両親が作業しているときもあれば、田んぼやミカン山などに行っていて、人気がないときもあった。

 どんなときでも、スイカは自分のペースで少しずつ実を膨らませていた。蔓が膨らんだ程度だったのが痩せたピンポン玉くらいになる頃には、うっすらとだがスイカらしい縞模様ができていて、しかもひとつずつ微妙に模様が違っていた。

 小学校の通園帽で初夏の日差しを受けながら、スイカの実をひとつひとつ眺めていると、背後からふいにミヨ子や二夫(つぎお。父)が
「来てたの。いっしょに帰ろうかね」
と声をかけることもあった。

 畑から家までは歩いても15分くらいだし、耕運機はモーター音がうるさくて話もできないが、乗せてもらって帰るのは悪くなかった。 

《「スイカ栽培」項の主な参考》
スイカの栽培方法・育て方のコツ | やまむファーム (ymmfarm.com)  

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