文字を持たなかった昭和 百六(料理―煮物)

 ミヨ子(わたしの母)が作る料理は圧倒的に煮物中心だった。煮しめも作ったが、煮しめは使う材料が多いうえ煮含める時間もかかるため、ふだんは汁を多めにしたごった煮風のものが多かった。汁ごといただけば汁物を兼ねられるいう理由もあっただろう。

 基本の材料は「家にあるもの」、つまりほとんどは季節の野菜だ。野菜が足りないときは、自家製の保存食品を加えることもあった。といっても、切り干し大根、薄切りにして干したニンジン、干し菜など、結局は野菜なのだが。

 晩ご飯の主菜として野菜だけではあまりに寂しいので、肉類を入れることもあった。「百四(料理)」に書いたとおり、舅の吉太郎がいた頃は、肉と言ってもほとんど「かしわ」と呼んでいた鶏肉で、よく出汁が出るよう骨付きのぶつ切りが多かった。

 ミヨ子が作るごった煮は、そもそも肉を食べるための料理ではなく、肉は「出汁」のために入れるようなものだ。吉太郎が亡くなり、子供たちが育ち盛りを迎えた昭和40年代半ば頃には、「かしわ」以外の肉、ほとんどは豚肉も使うようになった。それでも「出汁」用なので、細切れの肉が野菜の間に垣間見える程度だった。

 味付けは醤油と砂糖が多かった。煮物に使う醤油は淡口と決まっていた。色は薄いが塩味はけっこうはっきりしている。醤油だけではしょっぱい*こともあり、砂糖でバランスをとるような感じだった。したがって出来上がった煮物は、よく言えば「あまじょっぱい」のだが、汁が多いので、肉じゃがのような味付けとは全く違っていた。

 素材の組み合わせとしてよくあったのは、じゃがいも、ニンジン、玉ねぎに鶏肉か薄切りの豚肉。醤油をカレールーに換えればそのままカレーになりそうな組合せだ。もちろん季節によって組合せは多様だったが、基本の味付けが同じなので、子供のわたしにはすべて「煮物」としか思えなかった。

*ミヨ子は塩味が強い状態をよく「いがらか」と言っていた。「からか(からい)」に接頭語がつくのだが、「い」がどんな様子を示すのかはうまく説明できない。なお、たんに「しょっぱい」という場合は「しおはいか」であり、「いがらか」とは明らかに違う。 
 標準語の「いがらっぽい」に似ているが、こちらは喉の不快感を表す形容詞だし、塩味についていうことはない。ただ、「いがっぽい」は「いがらい」が変化したもので、もとの古語は「ゑがらし(蘞辛し )」、意味は「えぐくて辛い。刺激されて、のどがいらいらとした感じである。いがらい。」。またしても、鹿児島弁と京言葉の関連を伺わせる。

《参考》
コトバンク >蘞辛


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?