ミヨ子さん語録「自由にし慣れているから」

 昭和中~後期の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。たまに、ミヨ子さんの口癖や、折に触れて思い出す印象的な口ぶり、表現を「ミヨ子さん語録」として書いてきた〈229〉。

 本項の「自由にし慣れているから」は、前々項前項に「昭和の?アドバイス」として書いた「受け入れちゃいなさい」から思い出したものだが、語録のひとつに入れたいと折りに触れて思ってきた一言でもある。

 鹿児島弁で言うと「自由ぃ しちけちょっで」(自由に し つけちょっ で)。
 鹿児島弁は短縮を好むので助詞と前の語尾がつながっている。「しちけちょっ」も、標準語風に直せば「し つけて おる」が縮まったもの。動詞「つくい」は「(動作などに)慣れる、習慣的に行う」という意味だ。

 ミヨ子さんの夫の二夫さん(つぎお。父)が無理を言うときや、子供たちがちょっとしたわがままを言ったり、伝統的な習慣に合わないことをしようとしたりするとき、ミヨ子さんはこの一言をよく口にした。
「父ちゃんやらあんたたちゃ(あんたたちは)、自由ぃ しちけちょっで」
ふだんから自由にし慣れているから、やすやすと好き勝手にしようとするのだ、と言いたいのだった。

 夫に面と向かってこの一言を言うことはない。よほどの理不尽でなければ、夫には全面的に従うのが当時のミヨ子さんの、というより一般的な妻の生き方だった。ことに地方の農村にあっては。

 一方、民主主義と男女平等、自由と人権を習い、個々の自主性を認められる学校という環境で何年も過ごしている子供たち(兄とわたし)はときどき、ミヨ子さんから見ればわがままと思える要求をしたり、振る舞いをしたりした。男の子である兄は、祖父母を含む家族の誰からも、また集落や地域の人々からも「多めに見てもらえた」。ミヨ子も「男の子だから」と多くを許した。なお、この場合の「男の子」は「跡継ぎ」とほぼ同義である。

 妹であるわたしのほうは、いろいろな場面において「女の子はどうあるべきか」を、ミヨ子さんをはじめとする周りの女性たちから自然にかつ慎重に学んだから、それほど無理な要求をしたり、わがままを言うことは少なかったはずだ。むしろ「いい子」と言われるよう常に自制すらしていた。

 それでも、ミヨ子さんから見れば「分(ぶ)を弁えない」と感じる瞬間があったのだろう。そういうときにこの一言が出た。
「父ちゃんやらあんたたっ(あんたたち)は、自由ぃ しちけちょっで」

 「父ちゃん」つまり夫を引き合いに出したのは、日ごろから二夫さんの思いつきに振り回されていたからだろう。そして、それに引き換え自分はいつも我慢してばかり、という気持ちがあったのではないか、と今になって考える。好き勝手にしているように見える夫、それを真似ているような子供たちに、ミヨ子さんはどんな気持ちで向き合っていたのだろう。

 もしも。「あなたも自由にしていいんだよ」と誰かが言ったとしたら、ミヨ子さんは何をして、どう生きただろうか。「こう生きたい」という方向性が自分の中にあったのだろうか。しかし、あったとしても、経済力が伴わなければ叶わない夢だったかもしれない。

 認知機能の低下が進んでしまったいまとなっては、ミヨ子さんに「何をしたかったか」問う術はない。「自由ぃ しちけちょっで」という口癖すらも、思い出せないかもしれない。

 せめて「あれができたことは、幸せだった」と思えるような何かが、生きてきた中であったことを祈る。それをもう思い出せないとしても。

<229>過去の語録には「芋でも何でも」、「ひえ」、「ちんた」、「銭じゃっど」、「空(から)飲み」、「汚れは噛み殺したりしない」、「ぎゅっ、ぎゅっ」、「上見て暮らすな、下見て暮らせ」、「換えぢょか」、「ひのこ」がある。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?