文字を持たなかった昭和 百二十(がんもどき)

 食べ物の話が続く。しかも、豆腐の次ががんもどきでは何の工夫もないようだが、これは書いておきたい。

 なぜなら、がんもどきは母ミヨ子の好物だからだ。

 がんもどきがミヨ子の好物であると気づいたのはいつ頃だっただろうか。まだ通夜や葬儀などを集落や親戚が協力して執り行っていた頃、食材として並んだがんもどきを見て、ミヨ子が「がんもどき」を短く縮めて
「がんもはおいしいよね、好きだわ」*
と言ったときかもしれない。もっともその場面と会話は、わたしの記憶の中で再構成されたものである可能性もある。

 ともかく、初めて「お母さんはがんもどきが好きなんだ」と気づいて以降、がんもどきを目にする機会があるたびに母親の反応を伺った。そして期待に違わずミヨ子は
「あら、がんも。買っておこうかね」とか
「がんもは好きだわ。おいしいよね」
など、素直な反応を見せるのだった。

 当時、集落があった鹿児島の農村で手に入るがんもどきは、直径10センチちょっとと大きめだった。中の具はヒジキやニンジンなど、関東で売っているものとほぼ同じだが、もともと甘めの味付けが多い鹿児島にあって、がんもどきもほんのり甘かった。

 ミヨ子は新鮮ながんもどきをそのまま食べるのが好きだった。というより、わが家でそれ以外の食べ方をした記憶がない。だからわたしは、大人になってがんもどきを「煮含める」という調理法を知った時は軽いショックを受けた。

 いまでも帰省してミヨ子とスーパーなどに買い物に行く機会があると――極めて希少になったが――、がんもどきを探しては「お母さん、がんもがあるよ」と声をかけてはカゴに入れている。帰省のついでに小旅行して、道の駅みたいなところで手作りのがんもどきを見かけたら、お土産代わりに買っていく。こんな手軽(安上がり?)なもので喜んでもらえるのだから、親孝行しがいがあるというものだ。

 ところで「がんもどき」の語源は「鴈(の肉)もどき」で「鴈の肉のようにおいしい」という意味らしいが、ミヨ子は知っているのかしら?

*鹿児島弁:がんもうんかどねぇ、好(し)いちょっがよ。(太字部分にアクセントあり)


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