昭和な?感想――朝ドラ『らんまん』その2

 植物学者牧野富太郎先生をモデルにしたNHKの朝ドラ『らんまん』が放送中だ。どうしても植物学を学びたい主人公・万太郎が、土佐の造り酒屋を継がずに上京し、熱意と実力とわずかな伝手で東京大学の植物学研究所に出入りできるようになったものの、いくつかの要因で出入りが禁じられる事態となっている。

 私生活では、一目惚れ同然で結婚し長屋暮しをしている寿恵子との間に女の子が生まれ、二人目も身ごもり、波乱万丈ながら家族はまとまって、というところで長女が二つにならず亡くなってしまった――というところまで来た。

 「昭和な?感想――朝ドラ『らんまん』」で触れたように、わたしは牧野先生が好きなこともあり本作を熱心に見ているのだが、前々作の『ちむどんどん』ほどでないにしても、ときどき「?」と思うシーンが混ざる。ストーリー展開上、あるいは演出上の「都合」もあるだろうと、あえてやりすごすのだが、8月3日放送分のあるシーンは見過ごせなかった。

 それは、亡くなった長女を弔うシーン。

 弔うと言ってもすでに葬儀は終わったようす。寿恵子は愛児を亡くしたショックから立ち直れず床に臥せたまま。万太郎は愛児を象徴するヒメスミレの植物画を何枚も何枚も描く。そして寿恵子に声をかけて、長屋の庭で何十枚もの絵を、火葬するように燃やす。煙は青空へとたなびき「(長女の)園子は青空へと帰っていきましいた」と語るナレーションが被る――。

 さすがは天才植物学者と思わせる精密なヒメスミレのたくさんの絵を、燃やしてしまうという行為も若干理解しがたいが、煙に乗せて空へ、という意図だと理解しておこう。ただし、当時は土葬なので、火葬をイメージさせる演出が適当かどうか、個人的には疑問が残る。それに、このシーンに限らないが当時はまだまだ貴重で高価でもあった「紙」を、際限なく使っている点も疑問に思う。が、これらは置いておこう。

 私が違和感を持ったのは、ヒメスミレを描いた紙を長屋の庭で燃やすとき、万太郎と寿恵子が地面に跪いていることだ(同じように二人が跪くシーンは8月6日放送回にもあった)。

 土に直に跪けば当然汚れる。その着物の汚れはどうするのですか?

 わたしが子どもの頃、概ね昭和40年代は、明治生まれのお年寄りはまだ日常的に着物を着ており、親の世代でも何かの折には着物を着るなど、着物は比較的身近な存在だった。浴衣など肌着のように着て汚れやすいものを除き、着物はそう頻繁には洗わない。「着物を汚さないように」という知恵や行動は生活の中に浸透していたし、日常の立ち居振る舞いにもそれが反映されていた。

 日本人の「座る」動作は基本正座であり、室外なら「しゃがむ」だ。先述のような場面なら、土に膝をついて跪くのではなく、膝を揃えてしゃがむ姿勢をとるべきだろう。左右の膝を少しずらしてしゃがむこともあり得る。跪いて何かに祈るのはキリスト教の様式だし、跪く動作は洋装が一般的になって以降だろう。

 『らんまん』では、若い俳優、とくに女性の着物姿での立ち居振る舞いに「?」が多発する。少し前の回でも、万太郎と寿恵子が風呂帰りに石段に座って話すシーンがあったが、道路が舗装されていない当時の石段は土埃だらけだったはず(まして設定は下町)。そこに直に腰かけるなんてありえない。せめて手拭いか何かを敷いてほしい。

 幼少時から青年期の万太郎も、よく地元の神社の境内に寝転んでいたが、100歩譲って草の上ならともかく、袴姿で地面に寝転ぶなんて。汚れた着物の手入れはどうするのか、そもそも行儀が悪すぎる。万太郎の姉の綾も時々同じように寝転んでいたが、汚れるうえに帯が潰れるそんな動作を、明治の女性がしたはずがない。まして大店の造り酒屋のお嬢様が。

 ドラマには和服姿での所作や立ち居振る舞いを指導する人はいないのだろうか。

 所作と言えば、寿恵子の「手」も気になる。寿恵子が歩くとき、立っているとき、両手をだらりと下げていることが多い。めったに着物を着ないわたしだが、「おいおい、そこは両手を重ねるべきだろ(あるいは、片方の袖を押えて)」と突っ込みたくなる。

 着物(を着ている人)が身近でなくなった現在、所作や立ち居振る舞いを演技に取り込み、自然に振舞うことは難しいだろうし、この先ますます難しくなるだろう。そのうち日本人も、観光で日本に来て和服を着る外国人並みの着こなしや所作しか、できなくなるんだろうな。

 自分で着つけもできないわたしが偉そうに言えることでもないのだが、明治がまだ残っていた昭和を知る者として書いておきたかった。

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