文字を持たなかった昭和 二百六十七(手前味噌、余話)

 昭和中期の鹿児島の農村、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)たち庶民の暮らしぶりを書いている。冬の暮らしとして味噌の仕込みについて、作り方を中心に書いた(前編中編後編)。

 書きながら思い出した。

 できあがった味噌は木製の大きな桶に保存した。その大きさが尋常ではなく、3、4歳の子供なら立った状態で上から蓋ができそうなくらい、小学生でもしゃがめば二人入れそうだった。いったいどのくらいの量の味噌を仕込んだのか。ハル(祖母)は、息子の二夫(つぎお。父)が幼い頃は、現金収入を得るために味噌や醤油を作って町まで売りに行っていたらしいから、まさに「売るほど」作っていた頃の桶を使っていたのかもしれない。

 ところで、味噌は冬に仕込むものだと思い込んでいたが、麹の繁殖に適切な温度はヒトの体温程度だという。繁殖が始まり麹自体が発熱することを考えると、実際には春か秋が味噌作り(麹作り)には適切なのではないだろうか。だが、高温下では味噌の醗酵が進みやすくなりすぎる。麹は毛布などで保温して繁殖させ、味噌は比較的低めの温度で醗酵が始まるように冬に仕込んだ、とは言えないだろうか。

 WEB上には、昔の味噌はほとんど手作りで、農家はほぼすべて自家製だったこと、農繁期が過ぎ、秋の収穫で手に入れた穀物や大豆を使ったため、味噌の仕込みは晩秋から冬が一般的だったこと、などが書かれている。

 ミヨ子たちも同じだったかもしれない。

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