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「あなたは見てないんだよね?」おせっかいな私を一蹴した警察官の言葉を今も思い出す。

 中学1年生の時だったか。友人宅で遊んだあと、仲間4人で帰ることになった。3人が自転車で一人は徒歩。家まではそこそこ距離がある。「大通りに出るまではバレないだろう」と、みんなの総意で一台は途中まで二人乗りで帰ることにした。

 車一台が通れるくらいの川沿いの狭い道路を私が先頭で下り、2番目に二人乗りの自転車、その後ろにもう一人が続いた。途中、後ろから車が近づいてくる音がしたのと同時に「危ない!」という声が聞こえた。止まって振り返ると、軽自動車と二人乗り自転車が何やら接触しているように見えた。

 自転車を停めて慌てて駆け寄ると、二人乗りの後ろに乗っていた友人が車の後方で道路に座り込み、顔をしかめながら足の甲をさすっていた。「車に踏まれた」と言う。靴を脱がせて見たが、幸い救急車を呼ぶようなケガではないようだった。

 軽自動車の運転者は30代くらいの女性で、すぐに車から出てきてくれた。今のように携帯電話がない時代。近くの商店に駆け込んで警察に電話してもらったように記憶している。警察が来るまでの間、運転者の女性は「大変なことになった」という感じで、頭を抱えてその場に座り込んでいた。か細いその背中を今でも覚えている。

 二人乗り自転車を運転していた子は、何度も「ごめん」を繰り返し、涙目だった。「車を避けようとしたらバランスを崩して後ろの◯◯ちゃんが転げてしまった」その直後に車の後輪に足を轢かれたようで、責任を感じて落ち込んでいた。

 このとき一緒にいた仲間は日頃から仲が良く、私はその中でもリーダー的役割をすることが多かった。みんなの動揺している姿を見て「自分が何とかしなければ」とお節介魂に火がついた私は、みんなを励ましながら事情を聞き、おおよその状況を把握した。

 警察が到着するや否や、私は一人の男性警察官に駆け寄り「はいはい私が説明します」と言わんばかりに鼻をふくらませ、聞かれてもいないのに状況の説明を始めた。警察官は私の伝え聞きを途中でさえぎり、「ん?それはあなたが見たの?」「(先頭を行っていた)あなたは見てないんだよね?」と言って、少し呆れたように笑った。そして「実際に見た人に話を聞くね」と、運転者と友人の方へ向かっていった。そのときの私はまさに、サムネイルの犬みたいな顔をしていたと思う。

 13歳。言うてもそこそこ分別のつく年齢だった私は、この警察官の言葉で自分の行動の「マジ要らん感」を瞬時に理解し、その場を立ち去りたいほどに恥ずかしくなった。事実を見ていない私の節介は、人の時間を無駄に使わせ、事故処理の邪魔をしただけ。その後の私にできることは、とにかく静かに、黙っとくことだけだった。

 その後、粛々と事故の処理は進んだ。狭い道路で自転車を追い越すのは危険な行為だったかもしれないが、そもそも二人乗りさえしていなければ事故は起きなかったと思う。警察官から自転車の二人乗りについてのお叱りを受け、みんなで重々反省した。病院に行った友人は湿布を貼るくらいのケガで済んだ。本当によかった。一緒にいた仲間と家まで見舞いに行き、ご両親にも二人乗りをしたことを謝った。

 私は後々、このときのことを考えた。私は事実を見ていなかった。動揺している友人の話が正確かどうか私には判断できないことだが、伝え聞いたことを事実のように話した。事実は一つに違いないが、見る方向や見る側のコンディションによって見え方も違う。軽自動車の運転者が見た事実もあっただろう。少なくとも、事実を見た人の話に、見てもいない者が割って入れば混乱を招くだけだということを、まずは身をもって知った。

 そもそも私たちには「二人乗りをしていた」という後ろめたさがあった。そんな状況で警察官に話す私は、事実にわずかでも変形や偏りを加えてはいなかったか。客観性を失った状況説明は、事実とは離れたものになる。ありがたいことに私の話は一蹴されたが、友人をかばおうとする善意や自己保身が、他の誰かを傷つけたり悪者にしたりする危険もあった。私たちの非を責めることなく、ただ頭を抱えて落ち込んでいた運転者の背中が思い浮び、私は自分の中にあるずるさや弱さ、至らなさを自覚して怖くなった。

 あれから40年余りが過ぎた。あの頃と比べるとずいぶんと便利な世の中になったと思う。しかしその分、「本当のこと」が見えにくい時代にもなった。リアルに見える写真や動画、音声やテキストは事実であるかどうか判断がつきにくく、情報が溢れていて核心にたどり着くのもやっとだ。隣人にしていた小さなお節介は、遠くの知らない誰かに即時にできるようになったが、よかれの善意が混乱を生んでしまうことも増えた。

 40年後も相変わらずお節介な私だ。今でも無防備に情報を信じ、人のことに首を突っ込んでしまいそうになることがある。でも、そんなときに頭をよぎるのが、あの警察官の「あなたは見てないんだよね?」という言葉と、頭を抱えた運転者のか細い背中。ふと我に返り、事実を知らない私は渦中のやり取りに参加しないという選択をする。

 事実は見たものにしか分からないし、後から見るものが本当とも限らない。その場の空気感、当事者の背景、それぞれがもつ真実……物事の顛末は第三者には分かりようがない。

 「声をあげなければ」「動かなければ」という時はもちろんあると思う。しかし、混乱のときこそ当事者の声を最優先にすること。大事なその声が届くように、邪魔をしないこと。そのために、自分には「語らない」「静観する」という選択肢もあるんだということを肝に銘じておく。

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