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なぜ受かったのか教えてほしい試験の話。

どうも。この夏、キャリアコンサルタントの国家試験を受け、あまりの実技のできなさに「落ちた」と周囲に触れ回っていたらまさかの合格。「あかんあかん言うとって大丈夫なやつおるよなー、はいはい」と、試験あるあるなカッコ悪いやつを自戒しているみよしひろみ@55歳です。

どんな試験でも「なぜダメだったのか教えて欲しい」というのはよくありますが、「なぜ受かったのか教えてほしい」というケースもあります。今日はそんなお話。


30年ほど前、私は4度目の教員採用試験の準備をしていた。一般的に夏は開放的な気分になる季節かもしれないが、当時の私は採用試験があるこの季節が毎年憂うつでたまらなかった。支援学校で講師をしながら体育教師を目指すも、仕事と勉強の両立はなかなかハードだった。

3回不合格後の4度目で尻に火がついていた私は、筆記や面接の準備は抜かりなくやった。しかし、問題は実技試験。運動がオールマイティーな人にとっては、さほど難しい内容ではない。しかし、陸上競技の長距離走が専門で、ひたすら前を向いて走る以外は苦手だった私にとって、この実技試験が何よりの難関だった。

勤務先の学校が夏休みに入ると、誰もいない体育館倉庫から重たい体操用マットを引っ張り出す。もわーんとした蒸し暑さとマットの匂い。今でもこの条件が揃えば憂うつな気分になる。器械運動が死ぬほど苦手だった私も、試験までにせめて倒立前転くらいはスルッとできるようにしておきたかった。

倒立(逆立ち)の姿勢から、くるりんっと前に回る。体育教師を目指す者にとって大して難しくはない技だが、私は怖くて怖くて「脚を振り上げる→勢い足りなくて頂点まであがらない→元に戻る」の三拍子を、壊れたメトロノームのように繰り返していた。
「できる!」「ムリ」 チーン
「できる。」「ムリ」 チーン
「できる?」「ムリ」 チーン

魔の三拍子の図

この負のリズムを永遠と刻むにつれ「やればできる」のマインドは薄れ、弱気な自分がささやき出す。「誰もいない体育館で倒立したままグシャってなったらどうすんだよ。スケキヨだぞ。夏休みの体育館で事件だよ、事件」

「……そうだな、事件はよくない」
あっさり同意してマットを片付ける。

そんな不毛な毎日を繰り返し、結局できるようにはならないまま時間だけが過ぎた。それでも心のどこかで「本番追い込まれた状況で、勢いつけたら回るっしょ」と甘く見ている自分がいた。

そして実技試験当日。
数ある試験の最初が一番苦手な体操競技だった。一番苦手な…と言ったが、この後続く試験に得意なものはない。いずれにせよ、初っ端からやる気メータをフルスロットルで吹かさねばならん状況に、鼻息荒く試験会場に向かった。

体操会場に着くと目の前にそびえ立つ跳び箱。私には十段くらいのチョモランマに見えたが、おそらく六段くらいだったと思う。その奥に長めのマットが敷いてある。

「跳び箱の開脚跳びをして、そのあと倒立前転をしてください」マット横に立っている試験官が言った。

いけるか?いやー無理か。
つーか、やるしかないんである。

跳び箱も倒立前転もできる見込みがない私は「せめて助走だけでも」と、何を思ったか体操選手がよくやっている肘を伸ばしたまま走るフォームで助走を始めた。「何のつもりや」と己の奇行に戸惑ったが、もはや勢いに任せるしかない。目の前に来た踏切台を私は両足で思いきり踏んだ。
「バン!」
その音とともに弧を描くはずだったスピードに乗ったエネルギーの矢印は、ものすごく短い直線で前面に移動した。

助走からそこまでを音で振り返ってみたい。
トン トントントントントトーン バン!バーーン!!!

跳び箱に激突した私はあろうことか股間を強打した。それでも「このまま落ちるわけにはいかん」と、とっさに壁面にへばりついた私はロッククライマーのごとくその壁をよじ登った。

最高峰登頂を目指すの図

なんとか跳び箱の頂にまたがり、高い山でも登った人かのように安堵の表情を浮かべた私は、そこから向こうの端まで「ずりずりずり」とお尻を引きずりながら移動した。途中、あまりにも静かな「間」に耐えきれず、隣にいる試験官に何度も会釈をしながらずりずりした。

試験官の口が開いているのを横目に見ながら跳び箱の端までたどり着いた私は、何事もなかったかのように両足を揃えてヒョイっと着地し、10.0を出した人みたいに両手をあげてポーズを決めた。
「何がやねん」試験官の心の声が聞こえた。

ホッとする間もなく問題の倒立前転。しかし、派手に跳び箱に激突した私にもう怖いものはなかった。「勇気出して。勢いさえあれば回れる」そう気持ちを奮い立たせマットに両手をつく。そして意を決して思い切り脚を振り上げた。

魔の三拍子との決別だった。勢いよく振り上がった脚は、頂点を余裕で振り切り、体は畳まれる間もなく「ぬりかべ」のごとく面のまま落下。私の体がマットの上でバイーンと弾けた。

勇気出しすぎたの図

体のB面をマットに打ちつけ、背中を強打したはずみで「ハッ!!」という驚くほど張りのある声が出た。「♪あの頃は〜〜」に続くアッコ並みのそれに、私は自らウケてしまい、あろうことか「うへへへへ〜っ」と声を出して笑ってしまった。
「あかん試験中や」と我に返った私は、すくっと起き上がり、無理やり口を結んで懲りもせず10.0ポーズを決めた。
「どこがやねん」自分でも思った。

1種目目の体操は散々な結果となったが、次は私の専門である陸上競技の試験。
「よし、気を取り直して挽回しよう」と準備運動をしたが、試験内容が「何でやねん」の砲丸投とハードル走でまさかの専門種目での撃沈。

うなだれながら広い体育館に入り、バスケとバレーボールの試験を「可もなく不可もなく」終え、フロアの反対側に移動して、次はダンスの試験。

「何ゆえにこの曲?」という激しく暗いピアノ曲を聴かされ「これに題名をつけて即興で踊ってもらいます」と試験官が言う。もうお察しであろうが、私は「ダンスはうまく踊れない。あまり夢中になれなくて……」って、スカして言うとる場合か。

試験官に粗末な踊りを見られるというだけで卒倒しそうなのに、よくよく会場を見わたすと、広いスペースで一人踊る受験者を、反対フロアで球技種目の試験待ちをしている大勢の男子たちがジロジロみているではないか。

「あー、パーテーション持ってきてくれー。100個くらい持ってきてくれー」雑念ばかりが頭をよぎり、ダンスの内容を考える間もなく番号が呼ばれた私は、半ば白目で一人センターに立った。題名を何とつけたかは覚えていない。今から何を踊るのか、当の本人さえ知らないぶっつけ本番のダンスが始まった。

丸裸で暴風雨にさらされているような、冷たく打ちつけるメロディーに乗って私が踊ったのは、春風に揺れる蝶のような舞いだった。両手を広げてあっちに飛んでいってはゆらゆら、こっちに飛んではゆらゆら。その姿は全くもって風に吹かれてはいない。

「何をやってんねん」踊っている本人が思っていたのだから、会場のみんなが思っていただろう。それでも開き直って笑顔で揺れ続けるしかなかった。あと数十秒の辛抱、投げ出すわけにはいかない。途中、試験官と目が合い、その眉間にシワが寄っているのに気づいてからは「知らん知らん」と目をつぶって揺れ続けた。

「嵐でも舞えるんで」の図

「早よ終わってくれー」心の中で懇願しながら、的外れな舞いをさらし続ける私のその悲惨な状況だけが、曲のイメージにマッチしていた。

いつまでも止まらない音楽に「あぁーもうダメだ」と思った私は、意味不明に床をゴロゴロと転がり始めた。その「ライク・ア・丸太」のひどい姿の最中で「はい、おつかれさまでした」と止められた。そのまま死んだふりをしたい気持ちを抑えて立ち上がった私は「ぺこり」とお辞儀だけして一目散に逃げた。
後になって、隣のフロアからそれを見ていたという同僚の男性に「みよっさん、蛾(が)みたいやったで」と大笑いされた。おい、蛾に失礼だよ。

実技試験最終は水泳。クロールと平泳ぎで50mを泳ぐ。普段なら余裕なんだが、身も心も疲れ果てていた私は、平泳ぎのラスト10mで足の小指がつってしまった。カエルより大きく広がっているカエル足を生かすことなく、最後は犬みたいな泳ぎでかろうじてゴールした。

こうして散々な実技試験が終わった。
そしてこの年に私は採用試験に合格した。

なぜ合格したのか——
その答え、風に吹かれている。

言いたいだけやん。

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