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ちょっと変わった国語の先生の授業が好きだった話

学生時代を振り返って「心に残っている授業」ってありますか?

1980年代半ば。高校生のときの国語の先生がちょっと変わった人だった。七三分けでメガネをかけていて色白でちょっと弱そうな男性の先生。

先生は授業には必ず紙袋をさげてやって来た。
どこにでもありそうな使い古された手提げの紙袋に、これまた使い古されたプリントが突っ込んである。紙袋は破れるたびに新しいものに替わるが、どの紙袋にも必ず黒マジックで丸囲みされた先生の苗字が記されていた。

先生は生徒に対して丁寧な言葉を使う人だった。
命令口調の先生が多かった昭和の時代にあって、一人ひとりを「さん付け」で呼ぶ、柔らかい語り口調は心地がよかった。

先生はちょっとセンシティブな人だった。
情熱的に熱く語る日もあれば、やけに疲れている日もあり、お、なんかヘラヘラしてるぞと思う日もあれば、妙に感傷的な日もあり。「先生」という体裁を整えずにやってくる文学好きなその人は、人間臭くて憎めない人だった。

先生は教科書を使わなかった。
それは先生たちの間ではかなり問題視されていたようだった。生徒である私たちも「まぁ言われるだろうな」と批判される理由は理解できたが、先生の授業に不満を感じてはいなかった。今の時代なら間違いなく保護者が文句を言いにいきそうだけど。

先生は「 」抜きの問いを出すのが好きだった。
今のような秋の季節なら、紙袋をもって教室に入ってきた途端「秋だねぇ〜、秋といえばこの句知ってる?」とおもむろに高浜虚子の俳句を黒板に書き始める。

♪秋もはや〜熱き紅茶と〜……とつぶやきながらチョークを走らせ、最後に「 」をせわしなく殴り書いて振り返る。「ちょっと肌寒くなってきたこの季節!熱き紅茶と……に続くもの、何っ?」先生は嬉しそうに問いかける。

当てられた人はそれぞれに答える。
「熱き紅茶とチョコレート」
「それもいいね〜!でも違うんだよね〜」
「熱き紅茶とクッキー」
「ちょっと字足らずなんだよね〜!惜しいね〜」
「熱き紅茶とポテトチップス」
「それはまずいんじゃな〜い?油浮いちゃうよ〜」
「熱き紅茶とあなたがいれば」
「何〜それ〜!〇〇さん大人だね〜」

生徒が何を答えても先生は大ウケして感想を返してくれる。

私も気の利いた返答をしたかったが、残念ながらこの答えを知っていた。私の姉ちゃんも何年か前にこの先生の授業を受けていて、先生の真似をしながら家族にこの問題を出したから。多分、先生は秋になると毎年このくだりをやってるんだろう。

「みよっさんなんだと思う?」とうとう私の番になった。嬉しそうに聞く先生に「ビスケットです」と答えると「え?知ってたの?」と、先生は急にゲームオーバーを迎えた子どものように残念そうな表情になり「なんか、先生、ごめん(笑)」って感じになったのを覚えている。

先生はある日、「枕草子」に出てくる「にくきもの(憎たらしいもの)」の話をして、こんな問いを出した。「キミたちの『にくきもの』は何?」

私はその宿題に「将来の生活でちっとも役に立ちそうにない『ありおりはべりいまそかり』」と書いた。勉強嫌いで「受験のため」とすごい量を詰め込んでいく教育に辟易していた頃。「こんなもん将来ほんまに使うんか?」ことあるごとに呟いていた当時の心境を表すために矢面に立たされた「ラ行変格活用」に罪はない。

先生は私の「にくきもの」を読み上げたあと
「はっはっは〜!」と笑って、国語教師でありながら「だよね〜!」と続けた。

その後「にくきもの、おっさんの立ちション」とか「通学路の交差点で自分の側だけ極端に青が短い信号機」とか他の生徒の答えをいろいろ紹介している途中で「あら、これおもしろいねぇ」と先生は手を止めた。

「にくきもの、速くなっていく新幹線」
ちょうどその頃、東京大阪間の移動時間がまた速くなったというニュースがあった。でもほとんどの生徒が「ぅうん!?」となった。速く移動できるようになったのはいいことではないのか?

これを書いた彼はその理由をこう述べていた。
「速く移動できれば夕方まで掛かっていた仕事も昼過ぎには終わるかも知れない。でも、そうなったらまた会社に戻って次の仕事が待っている。速くなってもまた新しい仕事が増えるだけだ。速くなることは人に余裕をもたらすのではなく、結局人を忙しくするのではないか」

!!がびーん!!
サムネの写真に書かれている通り。「みんなそれぞれ違ってる。いろんな視点にハッとして」である。こんなことを考えている同い年がいるんか!目から鱗だった。

余談になるが、新幹線の彼は幼少期にみんなが粘土でかわいいお人形さんを作っている横で、図鑑を見ながら内臓を作っていたという逸話も残しているw

先生は誰の意見も否定はしない。
たくさんの考えに触れる機会を何度も繰り返し、いろんな価値観があるということに気づかせてくれた。それはとても楽しい時間だった。私のクラスはいろんな個性の集まりだったが、人の考えに対して自分がどう思うかという作業を繰り返す中で、それぞれのアイデンティティが作られていったように思う。

大人しい人でも決して何も思ってないわけじゃなくちゃんと意見を持っていることや身近な中にもいろんな考えがあるという気づき、人とセッションすることで自分の価値観が高められていく感覚、目の前に起きていることを自分はどう見るのかと考える癖、書く楽しさ……豊かに生きていくための思考を身につける仕掛けを作ってくれた先生には感謝している。

高校時代の3年間、多くの授業を受けたけど「何を学んだか」と問われると思い出せることは限られている。若干はみ出し者だった先生の授業は、明らかに学びがその後の生活に活きていると感じられるものだった。教育という意味では正解だったのだと思う。

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