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「そうぞう」が愛を生んだ話

30代の頃、とある高校で学級担任をしていた。
受け持ったクラスはプチ『ごくせん』って感じで
なかなかのやんちゃ揃い。

教室の後方には、分別用ゴミ箱が並んでいたが、
愛すべきやんちゃくれたちは、ゴミを分けない。
それどころか、床にゴミが散乱していることさえある。

「いいか…お前らよく聞けよ!
ゴミはゴミ箱に入れるんだよ!
それがマナーってもんだろうが!」
と、上下ジャージでヤンクミばりに叱咤するも、

「マナー?なんすかソレ?美味いんすか?」
に、はらわたぐつぐつ。

怒り狂って振り上げた短い髪の毛をギリ耳にかけ、
ヤンクミから金八への早替えで必死に冷静を装う。

「えーー、いいですかー…あだだ(あなた)たちはー……」

時にヤンクミ、時に金八を繰り返しながら、
愛すべきやんちゃくれたちとイタチごっこの日々。
あーこりゃこりゃ。

そんなある日、
エコキャップ運動を始めるという知らせがあった。
「クラスでペットボトルのフタを集めてください」と。

わがクラスにもキャップ用の袋が設置されたが、
いつまでたっても中身は空のまま。
ゴミ箱内には、フタがついたままのペットボトルが
山のように捨てられていた。

たかがキャップ、されどキャップ。
どうすれば自ら気持ちよく分別してくれるのか——
考えた私は、第三者に助っ人をお願いすることにした。

それから3日で第三者はできあがった。
等身大「ペプシマン」。
(机の上に座る上半身タイプ)
針金を適当に巻き巻きして、新聞紙をペタペタして、
ペンキを塗り塗りしたら、それなりのもんができた。

できあがったペプシマンに
「えー、いいですかー、あだだが飲んでもらった
コーラのフタなんだから、あだだが集めなさいよ」
と伝え、彼をキャップ担当大臣に任命した。

ある朝、教室のゴミ箱横に、しれーっと座るペプシマン。
「フタちょーだい」と緑のカゴを差し出している。

懇願しているのか、命令してんのか、
愛想よく言ってんのか、その表情は見てとれない。

何事もないかのように朝のホームルームが始まる。

生徒:「きり〜つ、礼。おはようございまーす」
ワシ:「おはよう」
生徒:「……で、先生あれ誰なん?」
ワシ:「新しいクラスメート。仲よーしてな」
生徒:「……(苦笑)」

担任の言葉は無視できても
のっぺらぼうの静かなお願いは無視できないのか
その日を境にみんなが分別を始めた。
そして、荒れていた教室はキレイになっていった。

ペプシマンが大事そうに抱える緑のカゴに、
そっとキャップを入れる愛すべきやんちゃくれ。
いや、もう、やんちゃくれではない。
「おおきに」
のっぺらぼうの声が聞こえる気がした。

もし「日本の美しい景色百選」というのがあるなら、
目の前のこの景色こそ入れて欲しいと思った。

キャップ集めという目的を達成したペプシマン。
しかし彼の物語はこれで終わらなかった。

彼にあいさつする者、
ご機嫌をうかがう者、
ゲン担ぎに頭をなでる者、
彼がどんな表情をしているのか、
何を思っているのか、
それぞれのかかわりが、想像力が、
のっぺらぼうに命を吹き込んでいく。

ペプシマンにして正解だった。
「顔がない」ということが
生徒たちの想像力を掻き立てた。

クラスの誰かから「ペプ史」と命名された彼は、
みんなから「ペプくん」という愛称で呼ばれ、
クラスの座席表にも彼の名前が記載されるようになった。

卒業文集に掲載されていた最後の座席表にも「ペプ史」の名前が。

クラスの一員として認められた彼は、
東に体育祭アレバ
「必勝はちまき」をして応援団長をつとめ、
西に定期考査アレバ
「必勉はちまき」をしてみんなのケツを叩き、
南に委員会アレバ、
せっせと集めたキャップで社会貢献、
北にクリスマスアレバ、
サンタ帽をかぶってうきうきムードを盛り上げた。

そんな献身的な宮澤ペプ史は、みんなから愛され、
いつしかクラスの不動のセンターに昇格していた。

20年前の卒業文集の中に、
生徒とともに体育祭の記念撮影に写るペプ史の姿が残っていた。
(中心部を拡大。少々粗いが胸のペプシマークが見えるだろうか)
クラスの中心に鎮座する彼が、心なしか誇らしげに見える。

そんなこんなで生徒たちの情操教育に一役買ったペプ史。
だがしかし——
彼の本当の姿は、ワシが3日で創った
ただの張りぼて人形なのである。

生徒たち一人ひとりの想像力の掛け合わせが
ただの張りぼて人形を
ともに青春の1ページを刻む仲間にした。

本来、物に心があるのかどうかは知らない。
でも、心があると想像することは
悪くないんじゃないか、と思う。
楽しみも生まれるし、情も生まれる。
人間も案外ワガママではいられない。

生き物ならなおのこと。

例えば、切ったらあかん木に刃を入れるたび、
「痛っ、イタタッ!」って叫ばれたり、
森の木々たちに「切〜る〜な!切〜る〜な!」って
大合唱されたら、怖くて切れないですよね。

まぁそんなファンタジーは実際ないけれども、
何も言わないから「ない」ことにしている、
有り難さを忘れてしまっている、ってことあるなと思う。

人も同じ。

主流と非主流、強者と弱者がいて、
主流や強者のペースで世の中は進む。

長い人生において、
どの波に乗ることになるかは流動的だと思うけれど、
主流の波に乗っているときこそ、
自らの影響力が大きくなるほど、
声なき声に想いを馳せることが必要なのでは。

創造が、想像が、時に愛を生む。

愛すべき生徒たちの、ペプくんへの想像や情が
その後の人生で出会う誰かへの、何かへの
「そうぞう」につながっていたら嬉しいと思うのです。

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