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時間の感覚がない

クリスマスが過ぎて年賀状をかき、紅白を見てお正月に実家に帰る。年をまたいだのはわかっているのに、なぜか実感がない。

自分の行動は例年と同じで、きちんとそれなりに動いてるのに、気持ちだけが追いつかない。
気持ちというか頭というか、自分をどこかに置きっぱなしにしてきている気分。

この手のことを書くと、「出たよ自分探しの人」とかいわれるかもしれない。

私がいうのは本当の自分探しとかそういう話ではなく、頭がふわふわしているというか、意識が薄いという意味でいっている。

今日が8月ですって言われても、そっか〜って思ってしまいそうな自分がいる。季節の感覚とかは体ではわかるけど、頭でわかっていない。

時間の流れが早すぎて、感覚が追いつけない。毎日起きたらすぐに夜が来てしまう。実は私だけ1日が3時間くらいじゃないのかと思ってる。

自分の年齢はもちろん、子供の年齢すらわからなくなることがある。提出する書類があるとき、ぱっと年齢がでてこなくて「今何歳だっけ?」と子供に聞いてしまう。

私が20歳じゃないのはわかる。でも本当に何歳かわからなくなってしまう。25とか28とか30あたりから。30を過ぎてからは、…私って今何歳?と本気で思ってしまう。冗談でなく本当に。

調べるとこんな感じの鬱病とか認知症の症状があるらしいけど、なんかもう病気って言われた方が納得がいくかもしれない。

お正月前には家の掃除をして、髪を切って、年賀状もだして、子供の宿題をチェックして、猫の爪も切った。

やるべきことはやってるのに、なぜかずっと私が私じゃない気がしてしまう。頭がずっと重い。誰かの魂が私の中に入ってしまったみたいに。

本当の私はここにいない。私は私を何処かに置いてきてしまった。

本当の私はどこにいるだろうか。いつから離れてしまったのだろうか。そもそも本当の私って?それもわからない。

自分で書いていてほんとやばい人みたいだけど、頭が重くて、時間の感覚がないということだけは確か。

この写真みたいに、いつも私の上には曇り空が見える。どんなに晴れていても真夏の暑い日でも、私の上はいつでも曇っている。光が差すことも、雲の切れ間に太陽を見ることもない。

2022年という新しい年、周りの人たちが目標を掲げたり抱負をいっているけど、私には2022という文字列でしか考えられない。

時間が0時になった瞬間、カウントダウンをして楽しんでいる子供たちをただ眺めていた。私にとっては、時計の針が12時をさしただけだった。

あけましておめでとうなんてただの文字列だ。ぎりぎりで耐えている私が、母親としてなんとか保っている私が、お正月になったら言わなければならないだけの言葉。
言わなければいけないと意識しているから、他人に対してやっと口に発することができている。

私は私を取り戻す日がくるだろうか。頭がすっきりとした感覚を取り戻したい。
私が私の言葉で話す日を取り戻したい。

小さいスマホの中に広がっている世界にうんざりしている。
同じ顔をした女の子たち、暗くて怖いニュース、欲望でどろどろとした世界。相変わらず見たくもないのに開いてしまうのは変わらない。

うんざりした世界を手放せない私はとても弱くてダメな人間だ。

実際に生きている世界の美しさに気づいているはずなのに、わからなくなるのはなぜだろう。曇り空の向こうに、青空が広がっているのはわかるのに。

今を生きていない感覚に陥るのは、私だけなのだろうか。

思えば1年前も同じようなことを思っていた。体感としては1年経ったとも思えず、考えていることも思っていることも何も変わらない。

いつになれば解放されるのかもわからない。解放されたい。変わりたい。どこにも答えがない。

そうして今日もあっという間に1日が過ぎていく。きっと来年も同じことをつぶやいてうんざりしているのだろう。

明日こそ少しでもすっきりとした私に会えますように。今日も明日も今年も、願うのはそれだけだ。

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