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戦時のウクライナ、ひとり旅 (まえがき)

2023年、5月。
あれは、単なるひとり旅と大きく異なる旅ではなかったかもしれない。
しかし、ある理由から「今現在のウクライナ侵攻を見なければ」という気持ちが芽生え、迷うことなくドイツ鉄道のサイトで、ここオランダからポーランド南東部のクラクフへのチケットを予約した。「クラクフに着いたら国境手前までの電車に乗り換え、そこでウクライナ国鉄に乗り換えればなんとかなるだろう」と、飛び出すように出発した。

戦士した兵士たちを称えるための国旗。それぞれの旗に彼らの名前、または彼らへのメッセージが手書きされているが、どれだけ戦死者が多いかがはっきり見える。独立広場そば、キーウ。
© Miyuki Okuyama

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2022年2月24日
ニュースは突然だった。ロシア軍がウクライナに侵攻。もちろん首都キエフ(このときからキエフというロシア語からウクライナ語の「キーウ」変わったのだが)も攻撃を受けた。
あれ以来、今年2024年4月まで、市民の死者は1万人を超え、650万人が難民となった。

こうなるまで、私はどれだけウクライナという国を知っていたのだろう?
いつか観た、センチメンタルなサウンドトラックが印象的な映画「ひまわり」、チェルノブイリ原発事故、いずれもどこか遠い、遠い国のことだった。
しかし、ロシアによる侵略から間もなく後、自宅からライン川まで歩くと、いつもはクルーズに使われている船の乗り場は鉄柵で囲まれ、その中には多くのウクライナ人難民が滞在していた。

あれ以来、テレビやネットでウクライナのニュースを見ない日はない。暗い理由ではあるが、ようやくウクライナという国を知ることになった。

取材や撮影の依頼があるわけでもなく、戦時中のウクライナ行きはただの個人的な理由の旅と大きく異なるわけではなかった。 私は写真家として、戦争で生まれた日系オランダ人の子どもたちフィリピン残留日本人を撮影したし、Yahoo!ジャパンに「難民1億人時代〜〜クラスメイトの難民たちが明かす逃避行と現在」も書いたが、私には直に戦争を感じる経験はなかった。そこにかすかな罪悪感を感じ、今こそ戦争を少しでも目にする必要があると思った。 そこで何が見えるだろう? ウクライナとはどんな国? そこの普通の人たちは今、どんな生活をしているのか?

5月の朝、7:36発の電車でハノーファーへ、そこからベルリンに向かう国際鉄道に乗り換えた。

記念碑に捧げられたブーケは、ウクライナ国旗の色、黄色と青。フメリニツキー
© Miyuki Okuyama

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