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人生の休止符

行動的で、ポジティブで、常に向上心がある人は、キラキラして美しい。母の影響を受け、私もずっとそんな人を目指していた。

母は、90歳で認知症を発症するまで、走り続けた。会社では、昭和ヒトケタ生まれの、高卒女性が、獲得できる最高の地位まで登りつめ、その後も講演で日本中を飛び回っていた。

引退後は夫婦で世界旅行を楽しみ、父の死後は、演劇やダンスやシャンソンを学び、ステージで輝きを振りまいた。

私もビジネスでの成功を目標としたり、勉学や音楽での向上心を持った時期もあり、そういう気持ちは一生捨てたくない、と思っている。

しかし、私の人生には、それまでの考え方を改める事を、強制されるような事件が度々起こり、その度に、突っ走るのを止める羽目になった。

最初の試練は、初めての赤ちゃんの死だった。詳しい経緯はここでは避けるが、生後2週間で敗血症という病気で女の赤ちゃんを失った。私は23歳で、米国生活も、結婚生活も初心者で、一年間、苦しんだ。

当時、歌や音楽への夢が捨てきれず、子よりも夢を優先した私にバチが当たったのだと思い、私は、あの時、人生から音楽を抹殺した。

次の試練は夫の薬物中毒の発覚だった。当時、家族四人でハワイに住んでいたが、夫は治療に専念する為に、ニューヨークのリハビリ施設に、二年間滞在することになった。

夫が去った後に、私は第三子の妊娠に気付く。私を気遣う母や友人から、産まない事を勧められた。上の二人は小学生。大変な事は、分かっていたが、私の決意は固かった。福祉のお世話になりながら、しばらく一人で3人の子供達を育てた。向上とか成功という考えは無く、必死に生きた。

3番目の試練は5年前の次男の死だ。向上心どころか、生きる意欲も失った。次男を失い、残された家族も大きな傷を負い、自分の傷に気付くのに数年かかった。5年経って、少し楽になったと思う。しかし、自分は、向上、成功、キラキラとは無縁の人生になったように思う。


成功してキラキラ輝く母と、負傷兵のような私。

一体、私と母は、何が違うのだろう?


その正しい答えは分からないが、人生というオーケストラの中で、役目が全く違う楽器を担当しているのではないか、と思うことにしている。

私の担当は、きっとシンバルやティンパニのような、休止符の方が長い楽器なのだろう。

休止符は、怠けているのではなく、沈黙という意味のある休止を奏でるということだ。

そして、人生での、ほんの数回、数秒の出番の為に、他の演奏に耳を澄まして、身なりを整え存在している。


もうすぐ、私の出番が近づいているようにも感じる。

その時に、最高な音を、最適な時に奏でられるように、息を整え、身なりを整えることにしよう。


演奏中の休止符は、意味のある休止だ。

休止という役目を全うしながら、
私も、
人生というオーケストラの
一員なのだから。



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