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現実に感謝する事の大切さ

6日間のロサンゼルス旅行を楽しみ、無事にセントルイスに戻った。セントルイスでの夫と二人の生活は、静かでシンプルだ。6日間の娘とのエキサイティングな時間は、儚い夢だったのか、と思ってしまい、少し淋しい。

ジャズコンサート、一杯50ドルのラーメン、息子のお墓参り、映画鑑賞など、短い期間に、娘と充実した時を過ごした。

安息日の土曜日は、昔通ったシナゴーグに行ってみた。私達家族は、10年以上、ここロサンゼルスの戒律遵守な超正統派のシナゴーグに通っていた。

安息日の祈りは、懐かしいラビの声と聞き覚えのある祈りの音楽に心が弾んだ。祈りの後は、数人の古い友人から声をかけられ、現状報告をし、ハグし合った。

昔の友人が私を覚えていてくれて、話しかけてくれて、とても嬉しかった。と、同時に、すっかり忘れていた、居心地の悪さも思い出してしまった。

私達は表向きは、ロサンゼルスの物価の高さや、治安の悪さを理由にこの地を出た。しかし、ロサンゼルスの超正統派のユダヤ教コミュニティに馴染めないから、という理由も、心の奥底に抱えていた。

その事は、私は、口に出す事もせず、コミュニティに馴染めなかった事実を、完全に受け入れる事も、許すことも出来ていなかった、とその時気が付いた。

現在まで2年間暮らしている、セントルイスのユダヤ教コミュニティは、正統派ではあるが、超フレンドリーで、私達夫婦を心の底から受け入れてくれている。そんなコミュニティの仲間達や、ラビに心から感謝しながらも、最近は不満も感じていた。

戒律への考え方があまく、旧約聖書の学びも、深さが足りないように感じていた。

超正統派で学び、ロサンゼルスの名高い地域で、生活していた、というプライドが顔を出し始めていた。

無い物を欲しがるのは、人間の慎むべき性(さが)である。

ありがたいことに、ここセントルイスで学べない事も、ネットやズームで学ぶ事が出来る。

しかし、今ここに居る仲間との繋がりは、この地でしっかりと、感謝を言葉や態度で伝え、行動する事でしか、深まりも継続もされない。


今ここ、という現実は、あまりにも身近か過ぎて、その良さを当たり前と感じ、感謝の気持ちを忘れそうになる。感謝を忘れ、プライドや批判する気持ちが、強くなれば、私は、幸せから、どんどん離れて行く事になるだろう。

時々、地元から離れて、現実の素晴らしさを、再確認する為にバケーションという気晴らしも大切なのかもしれない。

いや、離れなくても
現実への感謝の気持ちを、
持ち続ける事は、
可能なはずだ。
私自身が、意識さえすれば
できるはずだ。

現実の
当たり前の中にしか、
奇跡は存在しないのだから。

さて、夫のために
コーヒーをいれよう。
あと何回、この奇跡が続くのか
分からない。

人生は無限ではない。

だからこそ、現実の日常を
意識して、
愛おしもうと
思う。

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