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「勉強しよう!」「え?勉強しないけど?」と中3受験生に言われた元塾講師の回顧録(改)

これは数年前にエッセイ投稿サイトに投稿したもの。
noteにも記録として投稿させてもらおう。
文章はほんの少しだけ改編しています。

ふと思い出したので書いてみようかと思う。
私が大学生だった頃のことだから、もう気が遠くなるほど昔のこと。

私は塾の先生のアルバイトをしていた。
進学塾ではなく、いわゆる、お勉強で躓いてしまった子どもたちが習いにくるところだった。

今ではかなり一般的になってきた「個別指導」のタイプで、1時間ちょっとの時間に2~3人の生徒の勉強を見る。学年も進度もバラバラの3人に設問を個々に解いてもらって、それを解説するという流れ。

私が担当したのは小学校3年生から中学3年生までの男女。
教科は5教科+受験対策では美術、音楽、体育、家庭科、技術も教えることになった。

その中で、今でも印象に残る1人の女の子について書いてみようと思う。

彼女は中3の女の子。
「勉強が嫌い。学校の先生が何言ってるか全然わかんない」と言い、ネイルなどに興味を持ち、手帳にはプリクラがぎっしり貼られていて、塾に来た時には5分以上の着席は難しかった。

学力でいうと、かけ算は怪しい、割り算はよくわからない、二ケタの足し算も一応やるけどミスる。漢字は小学校レベルの漢字でも書けるものと書けないものがあり、社会や理科などはそもそも興味もないし、覚えても意味ないじゃん?という人だった。中3の秋の時点で、だ。

入塾の面談の時にお母さんが「学年で一番下なんです。やる気がないんです。このままだと高校も行けないといわれています。」とおっしゃっていた。

はて、先生とは言っても実際には5つくらいしか年齢が変わらない私に何かできるのだろうか。

今思えば、開塾当初、まだ生徒が少なくて、その子とマンツーマンの時間がたくさんあったので、それが少し良かったのかもしれない。

初日、彼女は、机に着くなりため息をついて、ブスッとしながら、プリクラの貼られた手帳とデコられた鏡を机の上に置いた。塾には連れてこられた感満々だった。

「はじめまして。今日から一緒に勉強をやろうと思うけど、好きな教科ってある?」と聞いたら、「無いけど、漢字は結構得意(実際には小学生の漢字も怪しいレベルだったんだけど)」と言った。

「OK。じゃあ、漢字やろう。」と言うと速攻で「やらないー。だって、勉強しても高校行けないし……しなくてもいいじゃん」と返事が返ってきた。

「うっそ!漢字やろうよ。でも、じゃあ、とりあえずそのプリクラ見せてよ。」と言うと、「いいよ。この子が一番仲がいい○○ちゃん、この子は前は仲良かったけど、今は遊ばないんだ」とそれはそれは饒舌。

で、お母さんには申し訳なかったけれど、私とその子の授業の時間の半分はプリクラや友達の話、好きな音楽(CDを貸したりもして)の話などをして1ヶ月が過ぎていった。

気がつくと5分着席していたら飽きていたのが、10分、20分、と座れるようになっていた。

そして、同じ頃、本人が「先生、私、勉強してもいいよ」と言ってきた。何がきっかけだったのかはわからない。

本題の勉強はというと、2月に受験を控えた11月頃の時点で最初に書いたように、漢字は小学生レベル。かけ算、わり算はとんちんかん。理科社会は意味わかんない。英語は「Heって何?聞いたことなんいんだけど」というような感じだった。数学も文章問題とか証明なんて解いたことがないという。

「OK。じゃあ、得意な漢字、どんどんやろうよ。あと、受験の数学のテストは問1以外やらないでいいから(その時の苦肉の策。実際にはちゃんと全部やれたらよかった)、そこは完ぺきにしよう」ということになった。

入塾1ヶ月、受験まで3ヶ月弱。もうすぐ「今年」が終わる。

彼女が「勉強してもいいよ」と言ったその日から、漢字の意味などを話しながら授業を進めていくと、彼女は驚くほど吸収していった。多分、本当に漢字は得意、というか好きだったに違いない。でも、できないと思い込んでいた、思い込まされていた。

国語はそんな流れもあり、文章題にも少し着手。数学は問1(その時の受験の常で問1は計算問題)満点を目指して、一ケタの足し算引き算から四則計算混ざったものまでを目標にすることに。英語も自ら意欲的に「アイマイミー、ユーユアユー」などと呪文を唱えていた。

試しに宿題を出してもやってきてくれるし、自分から「生まれて初めて辞書で意味調べたよ」なんて言ってくれた。そして、気がつけば自作の漢字ノート(プリクラやシールが貼られて可愛い)も作っていた。

こうなると子どもの持つ吸収力とパワーってすごい。点と点がどんどん線となり繋がっていった。

「イケル」と思ってからの快進撃が止まらない。

途中でお母さんが面談を希望されたのでお話をしたら「この前の中間テストで学年で成績が30番も一気に上がったんです!ゼロ点じゃない答案も見ることができました」のことだった。その後の期末試験もさらに20番くらい順位を上げたのだそう。

結果、高校には行けないといわれていた彼女は、高校に合格した。

「先生、私、数学、問1だけやったよ。多分、全部できた!あとは漢字で合格したんだね」と報告してくれた。(実際には美術とか音楽とか体育とかもポイントだけは押さえて彼女なりに頑張っていた)

何がすごいって、それまでは答案用紙に名前しか書かないことも多くあったのに、9つもある教科に向き合ってくれたこと。

彼女に出会い強く感じたのは、「あなたはできない(と思いこまされ)」→「私はできない(と思いこまされ)」→「じゃあやらない」という図式には簡単に陥るということ。子どもならなおさら。

私も算数は小学校で、図工や美術はずっと躓きっぱなしで、やっぱり今でも苦手意識がすごくある。

子ども心に自分ができないこと、下手なことってわかっている。でも、それを当然できるはずとしてやらされ、やっぱり「下手」と評価されるんだから、そりゃトラウマにもなるわ。みんなが「当然」なことができないのだから、自己肯定感はしぼんでしまう。(学校の先生も時間がない中、個別の対応は難しい。それは理解しているつもり。)

話がそれてしまったけど、私は、塾で彼女に特別な受験対策をしたわけじゃなく、世間話をして、基本を少しやり直しただけだった。

それでも、彼女は途中から突然飛躍して、自由な翼で飛び回った。
自分に自信を持ったことで。
親や先生が自分を認めてくれたことで。

小学生や中学生の頃の教育って、本当にひとことで良くも悪くも変わってしまうことはあるのだなぁとつくづく思う。

彼女は、ほんの数ヶ月通った塾のことなんて、きっともう忘れてしまっているだろうね。

でも、私はずっと忘れられないでいるんだよ。

※記事の最初のイラストは、s_a_s_s_a_さんのイラストを使用させていただきました~。ほんわかとっても素敵なイラストに癒されました。可愛い。

#初投稿 , #エッセイ , #初めまして , #子育て

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