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すべての矢印は「自由」へ 〜私のにゃらティブ 2

●IT革命 夜明前。「自由業」スタート

さて、晴れてイラストレーターとして独立した私。
頭の中には「独立=自由」の図式がきらめいていた。独立といっても、まだ会社を辞めただけの状態である。当然きらめく自由なんて、まだ夢の夢。
やっぱりアホは治らない。
でも頭の中ではミラーボールが回っていた。

ちなみに当時の日本では、フリーランスという言葉は一般的ではなかった。
代わりに「自由業」という言葉が、世の中に出回っており、アホな私をちょっとだけ弁護するとイラストレーターやデザイナー、ライターなどの個人自営業には「自由な職業」というイメージがあったのだ。
「自由」が何か、なんて定義もあやふやなまま…。
言葉ってコワイ。
そして、言葉のイメージに踊らされている自分を、いましめる知見もないまま、私は「自由業」をスタートさせた。

少し時代背景を補足すると、当時はまだIT革命夜明け前。
今ではビジネスに欠かせない通信手段は、メールでさえ一般的ではなかった。

イラストを1枚づつファイルに入れたポートフォリオを作り、広告代理店や出版社を営業してまわり、仕事は手描きでイラストを描く。
打ち合わせは電話か対面。ラフ案のやりとりはFAX。プレゼンはコピーで切り貼りしたものを実物に近い形で手作り。納品は持参するか、時間がなければバイク便だ。

そして、仕事=クライアントワーク。
長期的な視点をもって、自分の資産になるような商品を創る、なんて概念は私の身近にはなかった。

もちろん、それを調べるスマホもなければ、PCさえない。
私が初めて手に入れたPCは、iMac。
1999年。カラフルなiMacのボディがクルクルと踊るCMにときめいた。
イラストレーターとして仕事を始めて5年目のことだった。

●「お金」と「時間」は「自由」とのシーソーゲーム

そうこうしている内に、少しづ仕事が増えていった。
仕事が増えれば経済的な自由が手に入り、時間も自由に使える立場になり、やっと「自由」が手に入る…と思っていた。

しかし、現実はむしろ逆。
仕事が忙しければ、自由な時間はへる。
時間がタップリあるということは、仕事がヒマ。要するに経済的自由は遠のく。

まだ借金を返しおえていなかった私は、収入が減るのが怖かった。
それに一度仕事を断ると、二度目がないのでは、という不安もあった。
だから、来た仕事は断らなかった。

その頃、地方のクリエイターに求められていたのは「オールマイティであること」だった。
要するに何でもできると重宝がられ、よくも悪くも色々な仕事がきた。
当時の私は、その典型で「◯◯っぽい、イラスト描けますか?」のような依頼にも、すべて「YES」と答えていた。おかげで自分のひきだしは増えたが、気持ちは晴れなかった。
商業イラストレーターなのだから、何でも描けることが悪いわけじゃない。
でも、「自由に描けるなら」自分が何を描きたいのかさえボンヤリしていた。

1年365日、休みもあまりとらず、朝昼夜の区別があいまいな生活を続けていたら、メンタルも自律神経もボロボロ。
「自由」なんて言葉は、人ごととして遠くにかすんで見えるだけだった。

そこに、ひょっこり現れたのが、私が初めて一緒に暮らした猫、クーだ。
ここから、私の人生は幾度となく猫にすくわれることになる。
私にとってはすごく大切な、その「にゃらティブ」は、またあらためて、別に書きたいと思っている。

●「好きなことを仕事にする」落とし穴

イラストの仕事で疲弊した状況を打破するために、その時の私が選んだのは「仕事の幅を広げる」ことだった。

前回書いたが、子供の頃の私は「お絵かきが得意」で「食いしん坊」な子供だった。

自分が美味しいと思うものを自分の手で再現して、食べるよろこび。
食材の選び方、新しいアイデア、盛り付けやテーブルのしつらえまで創造できる「料理」は、根底で絵を描くよろこびと結びついていた。

私は料理の仕事もやってみたいと考えるようになった。

実は、コレは当時のわたしには重大な気づきだった。
イラストレーターの看板をかかげて仕事をしているが、実は自分は「ワタシ商店」の店主。
何を取り扱うかは、いくらでも自分で決めれるのだ。

こんな、今ではあたりまえのことでさえ、当時は大発見だった。

まずは、知り合いの料理講師の方のアシスタントをさせていただき、
そこから自分も料飲教室を始め、トントン拍子に地元のテレビ番組、夕方の情報番組の料理コーナーに隔週出演が決まる。

地方局とはいえ、当時はテレビ出演の影響は大きかったし、元々イラストレーターとしてのクライアントだった広告代理店や雑誌などからレシピ作成、撮影コーディネート、イベント出演などの仕事が、どんどん入ってきた。

イラストレーターとしての仕事との合わせ技で、オリジナルのテーブルコーディネートやイラストレシピ、地方出版社からではあるが、夢だったイラストレシピ本も出した。

やった!夢がかなっていってるじゃないか!すごい!
…またもやアホな私の脳内でミラーボールが、キラキラと回り始めた…。
しかし、コレも長くは続かなかった…。

もうお気づきかもしれないが、私は同じ轍を踏んでいた。

フリーランス、しかも専門職で仕事をする場合「仕組み」がなければ、自分が動いた分の収入しか入らない。休めばゼロ。

一見、うまく行ってるように見えていても、仕事を入れ続けては疲弊し、仕事がヒマだと不安におびえる。

むしろ、食の仕事は前よりタチが悪く、現場の仕事は体力勝負。
イベント出演が入れば徹夜で100食以上の仕込みをすることもしばしば。
忙しいと試作が重なる。当時、まだ独身一人暮らしだったので我が家の冷蔵庫は食べきれない試作品があふれかえり、結局いつも捨てていた。
食べることが好きでやっているのに、食べ物を捨てなくちゃいけないことに罪悪感もつのる。
気がつけば料理を作ることが大嫌いになっていた。

フリーランス歴15年。
好きなことを仕事にしていたはずなのに、イメージしていたライフスタイルは遠く、疲れ切ってメンタルもボロボロ。目指していた「自由」も、またかすみの向こうへ消えてしまった。もういい大人なのに、何やってんだ私。
いったい、何をどうすれば私の望む「自由」が手に入るんだろう。

当時、答えはまだ闇の中。
でも、多分今の私は答えを持っている。
メンション飛ばして、あの頃の私に教えてあげたい。

2022年 Web3夜明け前。
個人でも、情報と行動力があれば手が届く未来がある。

でも、当時の私がその未来に触ることができるのは、まだ先。

じつは、ここからが地獄の1丁目。
私のにゃらティブ、第3シーズン(多分)完結編。続きます!



















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