ゆき印ミルクティー

考え込んだことが腑に落ちる感覚が好き。でも忘れちゃうので同じ事を考えてたりする。 ぼー…

ゆき印ミルクティー

考え込んだことが腑に落ちる感覚が好き。でも忘れちゃうので同じ事を考えてたりする。 ぼーっと書いて消化できる場所が欲しかったからnoteを始めました。

最近の記事

オカルト大好き人間、タロットの無料講座を受講中。

タイトル通りです。 私が今受けてるタロットのメール講座が、次回の無料講座受講者を受付中だそうです。 かげした真由子さんという方が講師をしています。 タロットに興味がある人はもちろん、占いをした人に精神的にすがられたくない!という人にも良い内容だと思ったので、気になる方は是非どうぞ🕊 🍀https://sp.iroironoiro.life/tarot_thanks2301 ちなみに、3回目くらいまでは心構えのお話やタロットってどんなもの?というお話だったので、手元にカードが

    • 指を滑らせるか、ペンを握るか。(思考の瞬発力や鮮度の話)

      ケータイを初めて手に入れたのは高校1年生の春、いわゆる高校デビューのお祝いにとせがんだところ、ケータイ代は自分で稼ぐことを条件に所持を許された……ような気がする。 記憶がおぼろげなのは私がアラサーだからで、あの頃は折りたたみ式のガラケーが主流で、赤外線通信すらない機種もあって、ひとたび「メアド交換しよ」となればどちらかの端末に手打ちでメールアドレスを売って空メールを飛ばしていた。 みんな端末が傷つくのも厭わずに、お守りのようにストラップをじゃらじゃらとつけていた。 前略プロ

      • 趣味はタロット占いです

        「趣味はタロット占いです」 人にこう言うと、いくつかのリアクションがあります。 「えっ…そうなんだ…」と引き気味の人や「面白そう!」「占ってもらっていい!?」と食いついてくれる人、他にも「霊感あるの!?」のようなスピリチュアルなモノへの憧憬ともとれる一言など。 (念のために書きますが、タロット占いはカードの意味と出す場所の意味の掛け合わせを読み解くものであって、霊感は必要ありません。) いずれにせよ、世の人々からすると占いの知名度なんて「朝の星座占い」や雑誌の占いコーナー、

        • Twitterがなくなったらさ、こうやってnoteに呟こうと思うんです。私はTwitterのツリーに連ねて長文投稿してしまうタイプだから、noteの方が合ってるのかもしれないなぁ。

        オカルト大好き人間、タロットの無料講座を受講中。

          無題

          (画像は昔買った人工石のブルーゴールドストーンです。キラキラで可愛い無機物が好きなので載せました。でも今回は特に石の話はしていません。) 文字を書いたり(打ったり)読んだりする時の静謐さが好きだ。 声を使って会話をするより、ツイッターの呟きやゲームのチャットなんかで活字を使っておしゃべりする方が私には向いているとさえ思う。 別に自分の声が嫌いだとか、吃音症で話すことにコンプレックスを持っているとかではないのだけれど、とにかく活字での方が私は饒舌だ。 ネット弁慶なんて言葉が

          ゼリーを作らないまま夏が終わる

          夏が終わってしまう。9月の半ばになっても暑かったのに、気付けば日が沈むのが早くなった。台風14号が通過してからは空気が妙にひんやりして「ほんとうに夏が終わってしまった」とどうしようもない気持ちになる。 夏は暑くて嫌いだし、夏のあいだずっと「はやく秋になればいい」と言っていたくせに、終わりが来るととてもさみしくなる。 夏らしいことをなにもしないまま(出来ないまま)夏が終わってしまった。 やりたいことがあったはずなのに、その気持ちは季節に取り残されたまま秋だけが来てしまった。 ほ

          ゼリーを作らないまま夏が終わる

          母が嫌い

          心のうちにしまっておくにはしんどすぎるから、文字にして忘れてしまおうと思う。心のゴミ箱みたいなものとしてnoteを活用していいかは不明だけど、もう不意に思い出して泣いてしまうのも情けないから少しずつ忘れていきたいしアウトプットしようと思う。 だから、この先の文章は、いわゆる毒親だとかネグレクトだとか情緒的な虐待を受けた人とか、あとはHSPの人が読むのは推奨しません。 似たような境遇の人が見たらフラッシュバックを起こすかもしれない。 誤字脱字があっても振り返って読んで添削する元

          人を知ろうとすること、尊重と背徳感

          本当は日記に書きたかったけど、ペンを動かすのが億劫なのでnoteに載せておく。 誕生日とかなにかのお礼で、人から「何をあげたらいいかわからないけど、紅茶はよく飲んでるみたいだから」と言われて紅茶をもらうことが多い。 同じように「何をあげたらいいかわからないけど」の前置きつきで「でも甘いものは好きみたいだから」と甘いものも貰う。 どうやら私は「甘党で紅茶が好きな人」と思われているようだ。間違いではないのだけど。他にも色々あるのになぁ。 こう思っているのは私だけじゃないと思い

          人を知ろうとすること、尊重と背徳感

          もしも、いなくなりたいと思ったら

          私は、気分の落ち込みが激しい。 心配されても、それはそれで別のつらさが増してしまうから、なるべく表には出さないようにしている。だいたいバレるので意味はないのだけれど。 心配してくれる人がいるのは有り難い。しかし、誰かへ心配事や心の痛みや無力感を伝えようとすると、無意識にへらへらしてしまったり「でも大丈夫。そんなに深刻じゃないから」と取り繕う悪癖があるから、話さないようにしている。 ここだけの話だけれど、自分に嘘をつくことは緩やかに自分を殺しているようなものだ。だから実際は

          もしも、いなくなりたいと思ったら

          呟くのとは、ちょっと違うね。

          タイムラインで、アイコンや文体の癖なんかを見て「あっ、この人」って見に行くことは、ありますか?検索をかけて見に行ったりするような人はいますか? 私には、片思いに似た気持ちで一方的に焦がれて読みに行く人たちが数人います。 彼ら(彼女ら)がそれを知っているかどうかはどうでもよくて、素敵な文を書くひと達がただ健やかに穏やかに過ごせていたらなと思いながら文字を追います。 その人たちの言葉に触れて、温かな気持ちになったり、少し勇敢な気持ちになるような呟きをする人たちです。noteをや

          呟くのとは、ちょっと違うね。