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ひとりで海に行く

25歳の誕生日、会社を休んでひとりで海に行った。よく晴れた夏の終わりで、今でも誕生日が近づくたびに思い出す。

当時好きだった映画の影響だった。主人公が急に思い立って嘘をついて仕事を休み、通勤電車と逆方向の電車に乗って海に行くシーンがあり、それをどうしてもやってみたかったのだ。わざわざ誕生日である必要はなかったのだけど(映画ではバレンタインデーだったと思う)、その年ばかりは、何か特別なことをやらないと、気が済まなかった。

前の年、24歳は、恋愛も仕事も何ひとつとして上手くいかず、ずっと溺れ続けている気分だった。「しいたけ占い」でもあればいくぶん救われていたかもしれないけれど、それもまだ存在せず、ただただ「彼氏 復縁」や「仕事 遅い 改善」といったキーワードで検索をして、無い答えを延々と探し続けるような日々を過ごしていた。

いくつかのきっかけがあって、ようやく水面に顔を出せたのが、25歳の誕生日のひと月くらい前だった。しかし、そのひと月で一緒に過ごす恋人を見つけられるわけもなく、かといって仕事をしてやり過ごす気にもなれなかったので、前日の夜に嫌というほど残業をし、退勤間際に「家庭の事情で急遽お休みをいただきます」とメールをした。誕生日が家庭の事情に入るのかは、未だによくわからない。

そして翌日の朝。

東横線で、職場とは反対側の横浜方面に向かう。海には詳しくなかったけれど、当時友達が住んでいた鎌倉のことを思い出し、ここならなんとなく地理もわかるなと、行き先に決めた。9月も半ばになろうとしていて、夏服にはもう飽きていたから、薄手の七部丈のブラウスと、ショートパンツにスニーカーという、どっちつかずの服装だった。

何度か乗り換えをして鎌倉に着き、友達に教えてもらったカフェでランチを済ませ、浜辺と鶴岡八幡宮を結ぶ真っ直ぐな大通りを、ひたすらに歩いていく。

山と川のそばで生まれ育ったからだろう。海が近い、というだけで、ずいぶんと遠くに来た気分になる。しかも、自分の意思で会社を休み、ひとりで歩いている。当時の私にとっては、それだけでも小さな冒険だったのだと思う。

浜辺に到着したときはもう汗ばんでいて、半袖を着てこなかったことに少し後悔した。平日の海は、観光客もサーファーもまばらだったけれど、陽射しは強くて、まだ夏だった。ビーチサンダルやレジャーシートを持ってくればよかったなと思いながら、適当な場所に腰掛ける。

ぼんやりと海を見ながら思う。ひとりで海に来れたから、きっと25歳は最高の年になる。

この年はどうしても、明るい場所から始めたかったのだ。この陽射しも、湿気の多い海風も、私にとっては祝福だった。空の青と海の青を忘れないように、何枚か写真を撮った。

憧れの映画では、主人公は海辺で、将来恋人になる人と出会う。現実では、近くをサーフボードを持った誰かが通り過ぎたけれど、場違いな服装で座る私を、ちらりと横目で見ただけだった。まあそうだよな、と清々しい気分で立ち上がり、波打ち際まで歩いた。

*

東京は帰宅途中の会社員で溢れていて、万が一職場の人に会ってしまったときの言い訳を考えながら、隠れるようにして都内の日帰り温泉に向かった。鎌倉で旅行気分を引きずり、急だけど温泉行かない?と友達を誘ったら、快くオーケーをしてくれたのだ。

お風呂上がりにふたりでビールを頼み、誕生日おめでとう、と乾杯をする。

「今日さあ、実は鎌倉行ってたんだよ」

最高の年は、もう既に始まっていた。

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