「あいつ無能すぎてムカつく」と発言する人への反論

会社でものすごく仕事ができると言われている人がいる。めちゃくちゃ信頼されていて、いろんな事案を相談されている。仕事がとてもできるのだが、少しだけキレやすいという側面もある人だ。

そんな彼がとある打ち合わせの後「あいつら無能すぎてムカつく」と一緒に出席していた同僚を指して言っていた。私は出席していなかったので、私に言われたわけではない、はず。
「無能だからムカつく」と発言するのは、どうなんだろうか。
とてもモヤモヤしたので少し反論してみることにした。

思いつく論点としては二つある。一つは「無能」かどうかは相対評価でしかないのだから、それを馬鹿にするのは井の中の蛙であるという点。もう一つは、「無能」かどうかはそもそもそんな風に責めていいものなのだろうか、という点だ。

まず一点目。”有能・無能”は相対評価でしかない。これには説明はいらないと思う。どんなに有能な人であっても、自分より有能な人だけの環境だって存在する、もしくは作ることができる。そこでは彼は無能である。どんなに無能な人だって、自分が一番有能な環境は存在するし、作ることができる。

私は長く水泳をやっていたので、水泳で例える。
水泳はレベルによって様々な試合に分かれている。オリンピックがあって、アジア大会があって、日本選手権があって、日本学生選手権があって、関東学生選手権があって、関東の国公立大学の試合があって、、、それぞれの試合の中でも泳力によって組が別れている。関東学生選手権の1組目(1組目が一番遅く、組数が後ろになる程速い)で1位になったとしても、試合全体で見れば30位だったりするし、日本選手権には出れもしない。この組で勝ったからといって、隣のレーンで泳いだ選手を「あいつらクソ遅い」ということはとても視野が狭く、ダサいことに聞こえないだろうか。自分で勝手に自分を測る環境を線引きして、「俺が一番速い」というのは、とても視野が狭いと私は思う。「私は井の中の蛙です!」という宣言に聞こえる。

仕事において「あいつ無能だ」というのも同じことではないだろうか。その”有能”な人だって、自分が一番”無能”な環境は存在するのに、今自分がいる環境で(=自分が勝手に線引きした環境で)相対的に”有能”だからといって、周りを”無能”扱いするのは視野が狭くてダサくはないのか。
加えて言えば、”無能”な人は、自分が相対的に”無能”である環境を選んでいる。”有能”な人は自分が相対的に”有能”である環境を選んでいる。どちらがかっこいいだろうか。
ちなみに水泳の世界では、エントリータイムを自己ベストより遅くして自分が相対的に速い組を選ぶ人と、エントリータイムを自己ベスト通りにして自分が相対的に遅い組を選ぶ人がいて、どちらかというと後者の方がかっこいい風潮があったように思う。あの風潮はどこに行ったのだろうか。


次に、”無能”とはそもそも責めてよいことなのだろうか、という点だ。

現在の社会の価値観では、生得的な要素=本人の努力で変えられない要素を責めるのは良くない、とされている。
性的マイノリティは生まれつきそうなのだから、周りからとやかく言うべきではない、とされる。*1
容姿いじりは、生まれつきであり、本人の努力と関係がないのでしてはならない。

本当は性的嗜好とか容姿と”有能・無能”を比べたいのだけど、そんな都合のいい比較結果はないので、ここでは身長と一般知能(IQ)で比べたい。

行動遺伝学の研究によると身長の遺伝率(親から遺伝する確率ではなく、身長をどれだけ遺伝子で説明できるか)は66%である。*2
それに対して、IQの遺伝率は77%である。
身長よりも断然、IQの方が”生まれつき”決まる割合は大きいのだ。
つまり、”無能”を馬鹿にして良いのであれば、身長を馬鹿にしても良いことになる。身長を馬鹿にしてはいけないのであれば、”無能”を馬鹿にしてはいけない。『身長は変えられないので責めてはいけないが、”無能”は本人の努力なので責めても良い。』という論理は成立しない。

ただ、営利企業における仕事は”有能・無能”が価値と直結しているので、話は少し違うかもしれない。バレーボールは明らかに身長が大切であるのと同様に、仕事においては知能が大切である。
仕事の世界で「あいつ無能すぎてムカつく」と言うのは、バレーボールの世界で「あいつ身長低すぎてムカつく」と言うのと同じことである。
どう感じるだろうか。私は、「あいつ身長低すぎてムカつく」と発言する人には違和感を持つ。そんなこと言っても仕方ないじゃんと感じる。
どうして仕事の世界で「あいつ無能すぎてムカつく」は違和感なく通っているのだろうか。


*1仮に生まれつきでなく、本人の選択だったとしても、本人の自由なんだから別にいいだろと思うのだが、自由論調よりも生まれつき論調の方が強いように感じる。生まれつき論調は総じて、「本当は望ましくないのだけど、生まれつきだから仕方ない」という理屈なので、「本当は望ましくない」部分を布教することになると思うのだが、それはいいのだろうか。
「ブスはいじってはいけない」と言うとき、「ブスは望ましくない」ことは布教しているがいいのだろうか。

*2ちなみに体重の遺伝率は74%。身長よりも体重の方が遺伝子で決まってしまう。「デブは自己管理ができてない」と思うのは「身長低いやつは努力が足りてない」と思うのとほぼ変わらないことだ。

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