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ケセランパサラン

ふと思い出しました。

何度も思い出す記憶です。
高校生時代に よく見ていた白い綿毛のたんぽぽの種子のようなふわふわしたもの。

ケセランパサラン。

何故か 当時 不思議なこの生き物なのかなんなのかわからないものについて、友達とも話していません。
それも不思議です。

大人になって
 突然 思い出した時、同級生に 
「あの頃 たんぽぽの綿毛のような、でも確かに違うもの見なかった?」
と尋ねました。

殆どの人が 「見たことない」と言います。ひとりだけ「知ってる」と答えました。

その会話の後 また忘れるのだけど
何故なのか 何かの無条件なきっかけで ふと思い出します。




当時 高校生の頃も
我が家は 家庭環境が良いとは言えず、今思うと 子供には過酷だったな、と
 大人になった自分が 子供だった自分を抱きしめて よしよしします。

そんな、少ししんどかった頃です。
授業中 ぼんやり窓の外を眺めていると
ふんわり目の前に 白いその綿毛が舞い降りてきました。

たんぽぽの綿毛だと思いました。

開いた教科書の上に ふんわり止まったので 掌で包みました。
よく観察しました。

あれ?何かが違う。

種子がない…。
たんぽぽの綿毛なら 真ん中に種になる部分があるはず。
それがないのです。

でも そんな種子も どこかにあるかもしれないということも なんの疑いも持たず
不思議な感じはするものの、その綿毛らしきものを シャーペンの先に乗せてみました。

そうすると、
その白いふんわりした毛のようなもので
シャーペンの先を掴んだのです。
掴むという表現が正しいのかどうなのかわかりませんが。

本当に不思議だけど
なんの疑問も持たず、しかも、授業が終わったあとも 誰にも話すということも 頭に浮かばず 
ただ可愛らしくて、自分の指に掴まらせて 家に連れ帰ったのです。

それが ケセランパサランかもしれないと知るのは 随分 経ったのちのことでした。

家に連れ帰ったケセランパサランは
家で宿題をする時も、趣味で絵を描く時も
シャーペンに掴まらせていました。

その姿を見ていると 幸せで
ふふふん♪と気持ちが楽しくなります。

 一瞬 そのままにして席を立ちました。
すぐ戻ったつもりだったのですが、
ケセランパサランがいなくなっていました。
あちこちきょろきょろ探し、見つけたその場所は…
当時 飼っていたシャム猫 るうちゃんの鼻先でした。

猫は気になって きっと匂いを嗅いだのでしょう。
その時 くっついちゃったんですね…。

 驚いたわたしは
慌てて 猫の鼻先で ベチョっとなってるケセランパサランをとって
玄関先で祖母が育てていた花の上に 置きました。

「ごめんね」と何度も謝りました。
連れて帰らなければよかった、と。

朝 起きて 一番に 様子を見に行きましたが どこにもいませんでした。

「いない」ということは 飛んでいけたのかな。

都合良いけど そう思っておこう。

そして ケセランパサランのことは そのまま忘れてたんです、大人になるまで。


ある時 テレビの特集で どこかのお寺のお坊さんが 桐の箱に入れてる大きなケセランパサランを 紹介しているのを見て思い出しました。



ケセランパサラン

改めて、簡単にGoogleで調べてみました。

・空から舞い降りる。幸福をもたらす言い伝えがある謎の生き物。
・ビワの木でよく目撃されることから 「ビワの精」とも呼ばれる。
・「なるようになる」という意味のスペイン語「ケセラセラ」が語源だとか 梵語の「袈裟羅 婆裟羅」が語源であるとか言われている。

Google

いろんな話は出ているようですが まだまだ謎の生物のようです。
生物かどうかも謎です。

ただ あの時 見ているだけで 幸せな気持ちになれたことは 自分で経験したことなので 確かです。

また会えないかな、と 思うのだけど 探しに行くのも なんだか違うのです。

いつか どこかで
あ、と気づいたら 舞い降りてきている、という あの時のようなタイミングで 会えるといいなぁ、と思っています。


ケセランパサランについて調べていると
 本物なのか作り物なのか よくわかりませんが、金額がついて 瓶やケースに入れられ 売られていることに 驚きました。
本物だとなんだか悲しいです。


 
いろんなものの出会いのおかげで
幸せの求め方も 生きていく道の進み方も あまり理解はされなくても 
感じるものが しっかり揺れ動かされず、
自分の中にあることが もうケセランパサランに もらった幸せのひとつかもしれないです。


そして それを思い出している時に
数年会っていない友達から 連絡がありました。
「勝手に最近あったこと 書いて送るね」
とあって
とても腹の立つことがあったらしく 過呼吸になるほどだったと 書いてありました。
そして
「その頭にきてる時 みぞおちさんのこと思い出してたの。みぞおちさんは 私の心が過呼吸 起こした時に きちんと呼吸するときの袋のような位置付けにいるの。」


素直に心打たれました。
有難いと心底 思いました。

ケセランパサランを思い浮かべてるときに この連絡が来たことが また わたしを 包む優しさのタイミングなんだと思います。


久しぶりに その友達とも会いたいな、と思いました。


 
ケセラセラ。
良い日々を。



ヘッダー画像は わたしがちょこっと描いて シャーペン置いて 写真でイメージして撮ったものです。

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