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感情は自己表現の最小単位。

感情は自己表現の最小単位だと思う。

振り返ればきっと、私自身が感情をよくないものだと扱い育ってきたんだと思います。嫌われたくない、不安に苛まれたくない、感情は、自分の人生を揺らがすものだと、そう言い聞かせて生きてきたのかもしれません。

その結果、メタ認知力が高まり(これが大人になるということ?)、自分を客観的に見れるようになりました。

美月ちゃんはわがまま言わなくていいね。

おりこうさんだね。

大人びているね。

もしかしたら、周りの大人たちにこんな風に言われることが嬉しくて、無意識にそうなるような行動をとってきたのかもしれない。自分の感情が大きすぎて扱えなくて、爆発することが怖かったのかもしれません。

「どんな子どもだった?」と母に尋ねると、
「早く大人になりたいような子どもだったかなあ。」と言われました。

私はどれだけ生き急ぐんだろう、と苦笑してしまいます。

大人になった今でも、
「いつも冷静ですね。」
「慌てることなんてあるの?」
と言われることがしばしばあります。


ありますとも。人間だもの。(みづを)


最初は冷静、落ち着いている(悪く言えば冷たい?)という印象を抱かれやすい私ですが、1on1で対話をすると「実は熱かったんだね。」と言われることも多いです。

ちゃんと話をできる深い関係になっている人にだけ伝えたらいいや、と言うスタンスで生きているので第一印象とのギャップが激しいのかもしれません。

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こんな私だけど、感情はとても大事にしているのです。

よくある「感情的な人はいやだ。」「感情的な人は話にならない。」という頭の才が強い人たちの前提認識。

私も、ずっとそう思って生きてきました。父が家の中で怒鳴り散らす人だったから。家での時間は、怒られないように地雷を踏まないように過ごしてきて、それが窮屈だったから。

だからきっと、私も感情を人にぶつけないように生きてきた結果、この通りの人間になったんだと思います。おおっぴらに感情を表現するのが、いつの間にか苦手になってしまってきている自分に対して憂いを抱いたりもします。

でも、感情的であることとと、感情を出さないことは別物だと思います。

感情は、扱い方が大事です。一方で、「感情コントロール」という言葉には違和感を抱く側面もあります。

感情は、自然発生的に湧き出てくるものだから。湧いてきちゃうものにコントロールすることも、抑えることも出来ないはずで。

これは私の感覚でもあるので上手くお伝えできませんが、感情を段階的に解釈することを意識して過ごしています。

怒りの源にある感情は、恐怖や悲しみだったりもします。


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参考:プルチック感情の輪


例えば、大切なパートナーに、浮気をされたとします。その事実に激怒し、怒りをパートナーに突きつける。その根底にある願いは、「信頼関係が壊れ、私は傷ついた」という悲しみであり、それこそが最小単位の感情だったりするわけです。

今目の前に現れている事象に対する、私の真の願いは何だろう。
私は、相手に何を訴えているのだろう。

それを紐解くには感情ってすごく自然で、嘘をつかないものです。感情は、自己表現の最小単位だと思うのです。自分から湧き上がる表現を、見て見ぬフリをしない。コントロールもしない。

感情は湧いてきちゃうものだから、抑えようと思うほど感覚や感性が乏しくなり、いつの間にか喜怒哀楽を充分に感じられない人になってしまう。

悲しみや怒りなどの感情を抑圧すればするほど、喜びや楽しさにも鈍感になっていく。これは私が身を持って体験したことです。

先述しましたが、感情的であることと、感情を出さないことは別物だと思います。ここが難しいけど、大事なポイントになります。

感情自体は、動くエネルギーなので自分を起点に周囲に波及していきます。

それは、内に秘めていようと、あふれ出して伝わるくらいのエネルギーです。言葉を発しなくても、明らかに今日イライラしているなって伝わってきたりしますよね。それと同じです。近くにいたら、周囲の人が嫌でも感じ取ってしまえるくらいのインパクトがあります。

だからこそ、それをうわっと爆発させてしまうと大変なことになります。時にそれは暴力的に誰かを傷つけてしまったりする危険性も孕んでいます。

ただ、抑圧してコントロールすればいいかというと、それもまた感覚が鈍っていくという副作用も生み出すのです。

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ではどうすればいいのか。

私は、内側で湧き出た感情をキャッチし、自分自身が思いっきり感じ切ることで昇華させています。

感情は、そのエネルギーに存分に浸ると自然に変化していきます。悲しみや怒りと言ったエネルギーほど、感じ切るほどにいい。

時には、まるで映画のワンシーンで打ちひしがれる悲劇のヒロインのように自分の内側にどっぷり浸かってみます。(そのときは周囲の人間に気を遣わせないような配慮をします。)

すると、ある時ふと冷静な自分になって「あれ、なんでこんな浸ってるんだっけ」と我に返ったり、「ま、もういいか」というタイミングが訪れます。

これ、どんなに悲しい出来事が生じても、どんなに繊細な人でも、必ず訪れます。人は思った以上に、強い。本能的に生きていく力が、誰しもに備わっているのです。

だから、どんなに打ちひしがれていても大丈夫。

人は、痛い経験があればあるほどに、少しずつ、強くしなやかになっていく生き物なのです。焦らなくても、がんばらなくても大丈夫。

充実した人生には、必ず憂いや悲しみが存在します。苦しかったあの日の感情が、あの日の傷跡が人生という物語を通じて、集まって芯になっていく。

悲しみには浸ればいい。苦しさにも意味がある。

自分が葛藤を経験し揺らいだ分だけ、いつか人にやさしくなれるものです。

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