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物理的執着が無限の可能性を妨げる

物質に執着しない。
精神性に執着する。



我々には常に無限の可能性がある。

瞬間瞬間、様々な選択があり、
その先には選択結果から導かれる次なる選択がある。

ここに「物理的執着」があると、その選択肢に制限が生じる。

執着により一つの可能性を封じれば、その先に枝分かれしたいく通りもの可能性をも封じることとなる。



別れたパートナーに執着することがある。
執着するが故に新たな出会いに意識を向けられない。
別の無限の可能性に気づけない。

彼(彼女)である必要はない。
我々が本質的に求めるのはその人そのものではなく、相手との関係において生まれる「満たされた感覚」
その「満たされた感覚」は別の誰かとの間にも生まれるもの。

一人に執着するが故に「満たされた感覚」を共感できる別の相手との出会いを遠ざけているかもしれない。



壊れた関係の上にその「満たされた感覚」を取り戻すより、新たな関係の上に作ることの方が容易であろう。



川の流れに大きな障害物を置き、せき止めることを想像する。
障害物に当たった流れはしぶきを上げ、大きな波を作り出す。
その障害物を押し流す力は強大であり、労力を要する。
完全に流してしまうには長い時間がかかることだろう。

しかしながら自然界においては障害物を押し流すのは稀なこと。
水は障害物を避け、周囲へ広がり、やがて別の道筋が出来上がる。



パートナーに限ったことではない。
仕事や地位、様々なマテリアル。
成功体験は一つに限らない。
認識する以上に多くの方法を通じて達成されるもの。



人間界において我々は物理的要因に執着する。
本来我々が執着すべきはそこに生まれる「感情」

体験したい「感情」に執着することで物理的執着から解放される。



心を自由に…



執着すべきは体験したい「感情」

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