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過去の書き換え

Hey Google, play Christmas music.

クリスマス前の最後の日曜日。

家でひとりビーフチューと共にビールを飲みながら、クリスマス気分を味わうことにする。


SpotifyのチョイスはJazzyなクリスマス…


大人の雰囲気のクリスマスに、しばし記憶の奥深くへと引き戻される。


「お父さんの選曲は…
今思えば、マニアックでアーティスティックだったな。」

亡き父を思い、独り言ちる。


日頃は子供達が寝静まった後に帰宅する父が、クリスマスイヴには必ずケーキを片手に早めに帰宅する。
技術がない時代の大量生産のクリスマスケーキはお世辞にも美味しいものとは言えなかった。
見た目の美しさに反してパサパサのケーキに子供ながらに違和感を覚えたものだ。


クリスマスが近づくと母は必ず私に聞く。
「誕生日は何食べたい?」

そして毎年同じ答え。
「コーンスープと骨がついてる鳥」

幼い頃の私の好物はコーンクリームスープだった。
そして、子供には大き過ぎる骨つきの鳥もも肉に豪快にかぶり付くことが、クリスマスイヴであり、誕生日であるキラキラの夜を特別にするための儀式みたいなものだった。


クリスマスはJazz。

父の帰宅と共にそれまで子供向けのクリスマスソングだったカセットテープが入れ替えられる。

渋いテナーサックスの音に、なんだかムーディーで、同じクリスマスソングにも関わらず、いやらしいような雰囲気を感じ、
「なんで、こんな曲…」
と不満ながらも、それをどう表現してよいか分からない私は黙っていたから、父は私がその選曲を好きではないことに気づいていなかっただろう。


今思えば、クリスマスはいつも家族で過ごしていた。
日頃は不在の父が、毎年この日だけは絶対に外すことがなかった。


こんなところに忘れていた幸せが落ちていた…。


遠い記憶に引き戻され、次第にじんわりと心に温かいものが湧いてくる。

あの頃は不満だったJazzも、父が時々聞いていた落雷と鉄道の音のレコードも、大人になった今の私にはその良さが分かる。


幼稚園児にして初めて自殺をしたいと思った悲観的な傾向にあった私にとって、日本での記憶はいつもグレーで暗い印象だった。
そんな暗く、モヤのかかった記憶の中にも穏やかで温かな、満たされた、幸せの片鱗が存在する。

世の中は多面。白黒、善悪、と決定づけることはできない。


過去の記憶を、成り行きに任せ、思いに任せ、丁寧に思い出す。
あの頃に理解できなかった多くのことが、今は深く理解できる。

今の理解をもって、過去の記憶を丁寧に味わう。

喧嘩の多かった両親の関係性も、母の苛立ちも、父の不器用さも、大人の私には理解できる。

今の、大人の理解をもって、過去の記憶が温かな記憶へと置き換わってゆく。

見えなくても、在るものがある。

理解できなかった過去の自分に見えなかったものは、成長して理解が深まれば見えるもの。


見えないからないのではなく、見る準備ができていないから見えないだけ。


Christmas time, Magical time...

Very merry Christmas to every single living thing in this universe.


今年のクリスマスは魔法の時。

過去が変わる時。

過去が溶け、今が変わる。

未来も変わる。

魔法のエッセンスは常に「空(くう)」に満ち満ちている。


キャンドルの火を吹き消す時、強く念う。

全ての人の、特別ではなかった過去の記憶が、温かな幸せの記憶に書き換わりますように…。

いかなる人生においても、忘れられた幸せの記憶がある。

日々の気づきを大切にし、それをできるだけ多くの方とシェアできたら嬉しいと思っています。サポートしていただけるととても励みになります。