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空き家銃砲店 第十七話 <座敷>

最後の部屋になった。二階のこの部屋は二間続きの広間となっている。お客が来た時にしか使われない本当の客間である。

大正2年(1913年)、冬の終わりに隣の大町市に有名な作詞家が来た。旧制長野県立大町中学の校歌を作るためで、吉丸一昌(よしまる かずまさ)は大町と安曇野を散策して校歌とは別に詩を作った。

それが<早春賦 そうしゅんふ>で、のちに曲がつけられ、歌になった。穂高川には歌碑が建ち、ここでは山と「春は名のみの 風の寒さや」の風景が窓に浮かぶ。

天井には屋久杉や秋田杉、南の壁には漆喰に茶道の千家で使われるつぼつぼ紋が金彩で施されて、戦時中に訪れたある宮様の訪れを記念した額を引き立てていた。曽祖父はここで茶会を幾たびも開いたのだろうか。

唐花文様が刻まれた真鍮色のお釜、鶴のお茶椀、山水画の水差し、ナス型の香合、掛け軸、欠けた緑の蓋置(ふたおき)、売れ残った茶器たち。

書院造りの床の間には山の掛け軸、仏像、狛犬の香炉、私はここを使った覚えがない。祖母の里の人が泊まりに来た時に使っていたようだが、「来るからお出で」と誘われた覚えもない。なぜ祖母は実家と婚家の交流の場を持たなかったのだろうか。

ともかくここは広く、西側には空と山を借景とし、家自体が一番誇らしくみえる場所なのだった。


おまけ

今はがらんどうで、家紋が入った漆塗りの衣紋掛け、漆塗りの行器(ほかい)がほこりを友に置かれている。

『行器(ほかい)

円筒形で、外側へ反った三本の脚が付いています。
こちらは、外出時に食べ物を持ち運ぶ為のお道具。平安時代のお弁当箱、といったところでしょうか。』多呂人形博物館 真多呂ブログより。



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