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ため息俳句 障子の貼り替え

 昨日中に終えるつもりでいた障子貼りが、今日になった。
12月13日は、正月を迎える準備を始める日で。正月始めというのだそうだ。
 そういうことなら、我が家の正月始めはこの障子張りである。老人二人の生活であるし、また孫などが遊びに来ても、障子が破れたりすることはない。それでも、毎年この年の暮れには障子を貼り替える。これは、結婚以来続く習慣で、担当は自分である。
 この習慣は、自分の思いから始まっている。理由は自分の母親がそうしていたからである。終戦で仕事も何も失った両親が田舎に引っ越して来て、苦労して建てた家は、粗末といっても言い過ぎとかいえない、小さく質素な家であった。貧しい暮らしであったが、母は必ず障子を貼り替えて正月を迎えた。幼心に、真っ白で明るいお正月は、いかにも新年を迎えるという気がして、うれしかった。この習慣を自分が家庭を持って初めての正月を前に思い出したのだ。以来、このことだけはずっと守られている。

障子貼る母面影の若きかな


 俳句の方では、「障子洗う」という季語がある。これは秋の季題で、古障子を貼り替えるのだが、未だ暮れが押し詰まらない頃に、寒さに備えて行うことが多かったそうだ。「障子襖を入れる」というのも、季題でこれは障子なら貼り替えた後のなるはずだが、これも秋の季題だ。夏場は取り外しておいた襖や障子を、秋になっていれるのだという。そういう使われ方をしていた建具なのだ。
 そうした防寒保温の機能からか「障子」単独では、冬の季語とされている。けれども、この季語の認定は、比較的最近なのではなかろうか、むしろ季題とせずいつでも自由につかえることばである方が良かろうという気がする。
 では、「障子貼る」はどうかというとこれは歳時記上は秋の季題である。だが、自分としては、毎年今頃の習慣であるから、私的には、冬の「人事」であるのだ。ややっこしいなあ。