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恋の定義とは。

女は感性で好きになり、男は理屈で好きになる。女は理論で嫌いになり、男は感性で嫌いになる。好きに理由が無いのが女で、嫌いに理由が無いのが男である。

そんな話を昔聞いた。本当にそうなのだろうか、と考えることもしばしば。私は女だ。一応、身も心も女だ。そうやって生きてきて、自身の体へも心へも違和感を感じたことは無い。…ので、女として生きている。

感性で好きになるって何なんだろうと思った。直感とかそういうものの事を指すんだろうか。「なんとなく好き」みたいな曖昧な話だったりするんだろうか。理由を言えない好きの事を指しているんだろうか。理屈じゃない恋って言うのを言いたがるのも女だと思う。

理屈で好きになるってどんなことなんだろう。こういう経緯で…を順序立てて話せるってことなんだろうか。好きなところを10個上げますとかそういう話だろうか。好きになった理由が答えられないことを不審がるのはいつも男の様な気がする。

ここで言う「男」「女」というのは性別の事ではなく、思考回路の事なのだろうと思った。「男性的思考」「女性的思考」というのがあると思う。女性でも男性的な理詰めの考えを得意とする人は多くいるし、男性でも女性的な柔軟な思考を得意とする人は多くいる。美に関して言えば女性も男性も均等だ。

自分がどっちの思考に寄っているのか、という事はあまり考えた事が無かったけど、割と「理論的」な人間ではあるかと思う。筋道の立っていない話が嫌いだったり、感情論・根性論など以ての外だ。そんなもので解決する話などこの世に存在しないと思っている。

逆に言えば感情論や根性論を多く出すのは男性の方であり、それを佳とするのも男性である。…お気付きだろうか。理詰めの思考が男性的、というのは先入観に過ぎないのである。

話を戻そう。私は先ほど自らを「理論的」な人間と言った。しかし誰かを好きになる時は「あぁなんて素敵」と、いわゆる「感性」直結なのである。笑顔が素敵、声が素敵、仕草が素敵。ただ「理由がない」と言われるのは正直心外だ。だって、素敵だと思った心がここにはある。

人によっては以外な部分で好きになったり好きになられたりすると思う。実際のところ「なんとなく好きになる」なんてことはあまりない。曖昧な感情はきっとただ「思ってみただけ」というレベルに過ぎず、それは果たして自他共に認められる感情なのかは怪しい。

勝手に結論付けてしまうのもなんだが、きっと正しくはこうなのではないかと思う。

女は心(感性)で好きになり、男は脳(理屈)で好きになる。女は考え方(理論)で嫌いになり、男は気持ち(感性)で嫌いになる。好きに理由が無いのが愛で、嫌いに理由が無いのが恋である。…幻滅って勝手になるものだしね。

以上、とっても身勝手な恋の定義でした。

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