見出し画像

誰かを傷つけるくらいなら面白くなくていいと思い出した話

事務のアルバイトをしていた頃の話だ。

わたしが働いていたのは飲食系の会社の本社だった。居酒屋の経営もしている会社だったので、上司には高卒で居酒屋の現場勤務からこちらに移ってきたという、二十歳そこそこのギャルとギャル男が多くいた。

しかし彼ら、なにしろお口が悪かった。

入ったばかりでミスが多かった頃、出勤のたびに陰で「やば! 今日、眞野さん出勤日じゃん」「うわーw」と言われていたことを、わたしは知っている。

知ってはいたが、傷ついたりはしなかった。「だって新人だからしょうがないじゃん」と開き直っていたのである。というか部下に聞こえるように悪口を言うなんて、そういうとこちょっとおバカなんじゃないの? くらいに思っていた。舐めた新人である。
だけど舐めているからこそわからないことは笑顔で教えを乞い、失敗して怒られれば素直に謝り次からは絶対にミスをしないようふせんにまとめて暗記した。しばらくすると「眞野さん来てる! やったー」と言われるようになった。彼らは人の好き嫌いをしているのではなく仕事のできない人が嫌いなのだ。そして身内だけで共通の敵を作り悪口を言うことが楽しいのだろう。わかるよ、小学生のころあったよね、そういうの。盛り上がるんだよね。

わたしは結構彼らが好きだった。

彼らは、仕事ができる。高校から何年も現場を経験しているため現場の状況をよくわかっているし、人脈も築いている。上司としてのマネジメント能力に関しては疑問ではあるが、基本業務についてはかなり有能な人たちだった。

それにコミュ力が高くて、話が面白い。ちょっと下世話な内容や人の悪口も入っているんだけど会話のギャグ線が高い。わたしには絶対に持てない面白さがある。スクールカースト上位ってかんじ。

見た目も派手であり、(わたしの好きな雰囲気ではなかったが)整った美しさがあったと思う。それに努力する人はそれだけで綺麗だ。

うんうん。

そういうわけでわたしは彼らを「ちょっと単純だけど面白い、素敵な人たち」だと思っていた。

そうして3ヶ月ほど働いた頃、所属していたチームに新人さんが入ってきた。赤メガネに真っ直ぐな髪のおとなしい子だった。
仮にヤマダさんとしよう。

残念なことに、ヤマダさんもあまり仕事ができなかった。だけど誰でも最初は新人だ。わたしは根気よく業務内容を教え続けた。

しかしそのうち彼女をギャル上司達の「今日、ヤマダさん出勤日じゃん」「うわーw」の洗礼が襲うようになった。ギャル達は大きな声でヤマダさんのことで明るく声で冗談を言いあい盛り上がっていた。アルバイトは皆「また始まったよ......」と思いながら黙々と自分の仕事をこなしていた。皆自分の時と同じだ、仕方ないなあという空気が漂っていた。


そんなある日のこと、ヤマダさんからラインが来た。
「眞野さんになら言えると思って。突然ラインしてしまってごめんなさい。実は先日、〇〇さんに悪口を言われているのを聞いてしまって......」
本気で傷ついているようだった。バイトをやめようかと思う、とまで書かれていた。正直に言ってそんなにヤマダさんが傷ついていたなんて思わなかったので焦ってしまった。

ん?
「正直に言ってそんなにヤマダさんが傷ついていたなんて思わなかった」?

はっとした。
悪口を言われて傷つくのは、当然のことじゃないか。

自分が悪口を言われていた間、わたしは「ちょっと悪口も言うけれど面白い人たちだし、その悪口だって仕事ができないことを否定されているのであって人格を否定しているわけではないし、というか本気で言っているんじゃなくてその場を盛り上げるための冗談なのだし」という論理で納得していた。

だけど、それは搾取する側の論理だ

わたしは仕事ができるようになりたいと思い、心を傷つかないように理論で保護していた。無意識の工夫だ。それが悪いとは思わないけれど、そもそも論として「搾取されて心を自衛しなくてはならない状況」が間違っているのである。それも、単に「その場の面白さ」のためだけに起こっているのだ。部下が仕事のできない人間なら直に指導することは必要だけど、上司同士でおもしろおかしく貶め合う権利はない。そのことに気がついた。

いつからわたしは「搾取する側の論理」を受け入れるような思考回路になってしまっていたのだろう。

かつてわたしは圧倒的に搾取される側で、しかもヤマダさんのように傷ついていた。
「ねえねえ、ちょっと失礼かもしれないけどさ、いるかちゃん目開かないよね(笑)。眠いの?」
「へー、いるかでもプリクラとか撮るんだね(笑)」
「うわ、眞野さんと体育同じ班なんだけど。ってことは(笑)」

当時はおバカタレントの全盛期で、「人をいじること」が善だった時代だ。その場はかなり盛り上がっていた。だけどわたしはうまい返しもできずいちいち傷ついた。

今言われたならぜんぜん大丈夫。

「えっなに、もしかして自分の目が大きいことの自慢してるの?(笑)やば(笑)」
「うん。撮るよ(真顔)」
「ほんとにごめんね。絶対迷惑をかけちゃうけどなるべく頑張るね」

相手の目を見て言い返せると思う。

でも当時はにこにこして「あ、うん....」としか言えなかった。ちゃんと言葉を受け止めてちゃんと傷ついていたからだ。
だからわたしは自衛を覚えた。「こういう理由があってあの人たちは悪口を言っているのだ」と自分を納得させて傷つかないようにするのだ。悪口を言われて相手をかばう。心にかさぶたをつくるみたいな作業だ。我ながら強くなった。

だけどその結果傷つく側の気持ちを忘れていたんだなぁ。

「口が悪くても冗談なんだから、面白いんだからまあいっか」の内輪ノリを、わたしは受け入れつつあった。たぶんそちら側の人間になりつつあったんだと思う。
だけどやっぱりお互いに「死ね」と言って笑える文化は退けたい。もちろん彼ら同士は仲がいいから言っていて、むしろそれが許されることで仲がいいと確かめ合っているのだけど、そのノリは輪の外に持ち出してはいけない。だってそのノリを他の人は理解するかどうかはその人の自由であり、理解しない人にとってはそのノリは恐怖の対象となるのだから。



どんなに面白い会話ができるとしても、人を傷つける可能性があるのなら口にしてはならない。忘れっぽいわたしが忘れないように、自戒を込めて。





#大学生




そのお心が嬉しいです・・・!スキは非会員でも押せるので、もしよかったら押していってくださいね。