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【レビュー】ACIDMAN 2018年7月13日(金)日本武道館

 ACIDMANにとって6度目の日本武道館。昨年12月にリリースされたアルバム「Λ(ラムダ)」のツアーファイナル。ここ数年の武道館公演とは違う空間がそこにはあった。それが何だったのかを、紐解いていきたい。

 ピアノとストリングスが美しい、繊細さと荘厳さを兼ね合わせたインスト「Φ~introduction~」に導かれるように、上空から白い破片がステージに降り注ぎ、影を潜めていた黒いラムダのオブジェに積もってゆく。「白い文明」で歌う、生命の始まりのような「白い記憶」たちが。
 「真っ白に染まれ」という言葉が、アルバム「Λ(ラムダ)」のラストナンバー「愛を両手に」に綴られており、場外では、そこに着床を得た企画も行われていた。白い三角形のシールを組み合わせて白いラムダをつくるというもの。ツアーのオープニングは、おそらくこの企画とも繋がっている。
 その「白いラムダ」を一身に受け止め、大木伸夫が一人、ピアノを奏でながら「白い文明」を歌い始める。彼はこのツアーの本編ラストの「愛を両手に」でも、一人でギターを奏でて曲を終えていた。なぜ一人で始まり、一人で終わりたかったのか。

 ここ数年のACIDMANは、前半が「静」、後半が「動」、そしてそれを断ち切るように曲を終えるような楽曲が増えたように感じる。序盤は穏やかなのに、中盤から音数の多く激しい展開になる。または、短距離ランナーが徐々にスピードを上げていくように、中盤に向かうにつれて鼓動が高まっていくようなアレンジが加えられていく。そして唐突に終わる。
 この日のライブを見て感じたのは、本編の最初から最後までの展開も、その楽曲の展開とよく似ていると。なぜか。最初、それが大木伸夫の感情のスイッチの入り方なのだろうと思った。けれど、それだけではないのかもしれない。小さな命として生まれ、多くのことを経験し、成功と挫折を繰り返し、幸せな人生だったと呟き命を終える。これらの楽曲も、ツアーの構成も全て、生命のメタファーなのではないだろうか。

ここ数年は、楽曲に涙する人が多かったが、今回はあまりいなかったように思う。ACIDMANの想いを受けて泣くのではなく、同時に同じものを感じ、同じ場所を目指していくような感覚に近いかもしれない。ACIDMANとファンの関係性の変化。それが、これまでの武道館公演との違いのように感じた。
彼らは、自分の表現したいものを、わかりやすくする道を選ばなかった。そして、それに賛同しているファンを誇りに思っているという言葉を告げ、拍手に包まれていた。その空間の、なんと愛おしきことか。

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