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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#117

21 大阪会議(7)

 大久保側からも、板垣側からも大久保と木戸と板垣を大阪に迎えて、立憲政体の道筋をつけることに決している。特に大久保はこれをきっかけに、木戸を参議に戻ってもらうことにかけているようだった。それを合わせて、木戸に向けて早く決断するように文を送った。やっと、大阪にくる気になったと連絡がついたのはもう少しあとのことだった。
馨は木戸と顔を合わせるとすかさず言った。
「木戸さん、本当にこの日を待ちましたよ」
「少し疑心暗鬼になっていたようだ。とは言っても唯のまな板の上の鯉にはなるつもりはない」
「そげなこと。大丈夫です。お互いの意見を折衷して、我が国特有の事情を組み入れた議院の形式を考えていくこと。その順序として政府の権力についてしっかり定めた上で、議会を開くということで、うまくいくと言うのが我らの考えですから」
「まだ、板垣は大阪についておらんのだな」
「そうじゃ。わしは会社にも出なくてはならんが、木戸さんはゆっくりしちょってください」
「私も吉富にに相談したいことがある。先収社にも顔を出させてくれよ」
「中野の辞任のことですか」
「致し方ないとは思うのだが、残念な気持ちも大きくてね。やっと協同会社が動き出したところだからね」
 そうこうして待っていると、やっと板垣退助たちが大阪についたと連絡があった。
「聞多、いよいよだな」
「そうじゃ。木戸さんには頑張りどころじゃ」
「行くか」

 ふたりで、板垣の宿を訪ねた。板垣の他に小室と古沢も同席していて、馨にはひとしきりの思いが浮かんでいた。
「木戸さん、こちらが小室信夫くん、こちらは古沢滋くん、この二人が民撰議院設立建白書に深く関わっちょる。中においでなのが板垣退助さんじゃ」
「僕らの方は、こちらが木戸孝允、で、僕が井上馨じゃ」
馨は出席者の説明を行った。
「そうじゃ。民撰議院設立建白書についてまず説明をしてくれんか」
「わかりました。かんたんに説明します」と小室信夫が説明を始めた。時折、木戸が質問をしたが、和やかに進んでいった。板垣も意見を交えていったので、木戸や馨も漸次的な方針の重要性を説いていった。かなりの時間を費やしたが、思ったほど疲れなかった。逆に二人は充実した時間を過ごすことができて、興奮していた。
「聞多これはなかなか意味深い話だったぞ」
「そうじゃな。家で少し飲んでいきますか」
「それがいい」
「どうぞ、むさ苦しいところですが、お入りください」
馨は自分のやっている仕草の大げささに、思わず笑ってしまった。
「笑い転げるなど、失礼な執事だ」
木戸も笑い転げそうになりながら踏みとどまった。
「これで、次は木戸さんと大久保さんの会談となるが、お気持ちは問題ないですね」
「大丈夫じゃ」
「本当ですか、時々木戸さんは大久保さん相手だと感情的になるからの」
「うるさい」
「それと色々外からもうるさくての。もう何日かで陸奥と弥二郎と山田もこちらに来ることになっちょる」
「また観客が増えるのか」
「もっと増えることになるの。大久保側には俊輔の他に黒田も来るはずじゃ。もしかしたら大山巌も」
馨は笑って言った。
「花のある主役は違うの」
けらけらと声を立てて、笑いながら馨は、木戸を持ち上げた。
「そうじゃ」
「くー、敵の多いわしには何も言えんの」
「そうじゃ」
「はははは、もう遅いから帰るとするか」
「お疲れさまでした」
「また来る」
「それはどうも」
 楽しそうに帰っていった木戸を見送った馨は、こんなに楽しそうな姿を見たのは久しぶりすぎだと思った。

 そしてとうとう木戸と大久保の会談が行われた。
 大久保には事前に木戸の意見を書いた物を見せていた。そういう意味ではすでに話し合いはできていて、お互いの顔を見ることが重要なイベントだった。
 大久保の方に博文が座り、木戸の背後に馨が座った。この形は次の三者会談でも同じように行われた。特に三者会談での博文は、小室信夫と古沢滋と親しく話していた馨に、冷たい視線を送っていた。馨の方はこんな風に睨まれることに少し憤りを感じていた。
 しかし、そんな感情とはお構いなく、会議は進み、すべて了承されて終了した。これが世にいう大阪会議というものになった。

 その成果は、明治八年四月十四日の漸次立憲政体の詔勅となった。そして、木戸と板垣は参議に復帰した。
 元老院も設置され、議官が任命された。木戸は馨の復職を願ったが、その頃尾去沢鉱山についての裁判が始まり、叶わなかった。
これには大久保も大隈も敢えて動こうとはしなかったし、博文も大久保に言っただけに過ぎなかった。

 そしてすぐ、漸次的派の木戸と急進派の板垣との相違点が明らかになっていった。特に卿と参議の分離は大久保の理解もなかったことから、板垣達の争点とされた。
 馨は見事に木戸と板垣の調整者とされ、板挟みに悩むことになる。それだけでなく、保守派の島津久光もでてくることになり、一層の混乱を招いた。あろうことか、島津と板垣が結んだことによって、馨もなすすべを失っていた。
 
 そして、裁判という重圧も馨を苦しめていった。尾去沢鉱山の裁判で起訴されたのは、馨の他にもいて、差し押さえに回した実際の担当者や、その書類に判を押した者たちが並んでいた。それは司法省対大蔵省の様子を見せるものだった。

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