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【小説】奔波の先に~井上馨と伊藤博文~#143

25 次に目指すもの(2)

 金沢に着いた。馨は気軽な服装に着替え、大隈を待った。本当のところは気乗りしない。不平士族の巣窟に乗り込もうというのだ。だが、その真意を大隈に知られるのも、御免だという気持ちだけが先に立っていた。
「馨、準備は大丈夫であるか」
「おう、できちょる。行けるぞ」
 大隈は風呂敷包みをもって立っていた。
「はち、その包みはなんじゃ」
「これか、これは酒である。乗り込むのなら相手と話し合わねばいかんのである。そのために酒は欠かせぬのである」
「そうじゃな。近うなるには酒が一番じゃ」
「では、出かけるぞ」

 金沢の街に出た。きらびやかなところには背を向けて、人通りのあまりない道を歩いた。
「せっかく忍びで外に出るのなら、茶屋町に行きたいものじゃ。せめて骨董品を見たかったのう」
「馨、何をブツブツ言っておる。もうすぐで着くのである。大丈夫じゃ。岩倉さんにはとりあえず言ってある。金沢の警備主任にも告げてある。何かあったらポリスが来る」
「それは心強いことじゃ。はちに任せたぞ」
「ここである。馨、入るのである」
「すまんが、われらこちらの代表と、話がしとうて参った。合わせてもらえぬだろうか」
「そう簡単に会える人ではない。貴様らは何者か」
「吾輩は大隈重信、こちらは井上馨と申す。右頬の傷、知る人は多いであろう」
「確かに、でも、大隈、井上といえば参議、卿である。金沢になど。そうであった。帝の巡幸の随行員であったな」
「ほう、ようやくわかったのであるな。間違いなく吾輩は、大蔵卿参議大隈重信である。この頬に傷があるのが、工部卿参議井上馨に間違いなか。会わせてもらえるな」
「おい、先生にお伝えしてこい」

 入り口にいた男は、もうひとりの男に先生という人物を、呼んでくるよう言ったのだった。大隈と馨は奥の部屋に通された。そこには書生風の男たちが数人いた。書生たちの間に席が作られると、馨と大隈は座った。
 大隈は案内の男に風呂敷包みを渡すと、「酒である。皆で飲むため持ってきたのである。毒など入っておらぬ。つまみなどいらぬから、茶碗を出してくれぬか」と声をかけた。
 先生と呼ばれる男がやってくると、酒盛りも始まった。ちょっとしたツマミと追加の酒も出されて、懇親会の体をなしていた。
「巡幸の随行員に対して、斬奸状が届いたと聞いたのである。目標は吾輩と井上であろう。なれば、押しかけるのも一興とな。それで参ったのである」
「そのような書状を出したものは、ここには居りませぬ。なれど士族のあり方に対して、お話しできる良い機会でございます。何卒お聞き届けいただきたい」
「我輩たちも元は勤王攘夷の志士、この井上など、斬られもしたが斬りもしたものじゃ。不満はよう分かっちょう」
 馨は大隈の「斬りもした」というところでは、不満そうな顔をしていたが、笑顔にしていた。たぶん、大隈には笑っているようにしか見えていなかったであろう。
「あぁ、色々やったこともあったのう。大きなことも小さなことも。全ては新しい世を作るためじゃ。おぬしらの協力なくては叶うまい」
馨も話の輪に加わっていた。
「わしらを奸臣と呼ぶんは別にええ。じゃが国を豊かにし、民を豊かにする。諸外国から侮られない国にするための道筋を考えながら、行動しちょる。それは忘れんで欲しい。失敗もし、その失敗から学んで、進んでいかにゃいけんのじゃ」
そう馨が話をすると、周りの男達もうなずいていた。話を聞く姿勢も、身を乗り出していて手応えを感じていた。
「お話しの大意よくわかります。なれど、士族は俸禄を失い、困窮し没落する一方。なんとしても、生活を立て直し、学んでいかねばなりません。そのためには先立つ物が」
「たしかにの。それはようわかっちょる。士族の授産や学びの場は、各県にも対応するよう命じておる。おぬしらが率先して活用してくれんか」
 馨は山口で進めている、事業についての説明も行った。大隈は書生たちの話に感激して、できることは協力したいと言い出していた。実際帰京してから援助をしていたようだった。

 二人は宿舎に戻ると、岩倉から小言を言われ、警備の主任からは、危ないことは止めていただかないと、私の命がなくなってしまうと泣きつかれた。大隈は二人にも、贈り物をしてなだめていた。手回しのいいことと、馨は思っていた。
 そんな夜のあと、馨は一人になると、よく眠ることができなかった。また暗殺のことを夢に見て、うなされていた。こうした事が続き、馨の体を蝕んでいった。それでも、本隊から離れて、視察に行ったりと、多くのことを引き受けていった。
 京都から三重をまわり、本隊は東海道に入っていった。豊橋に入ったあたりで、馨は熱を出してしまっていた。そのため、先遣隊どころか本体にも後れを取ることになった。
「馨、大丈夫か、というもののその熱ではな」
「心配かけてすまんの」
「みかんである。風邪には良いと聞いた」
 馨は大隈の手を借りて起き上がった。
「みかんか。わしは斬られた時、みかんの汁を口に垂らしてもらって、すすることで生き延びたのじゃ」
「思い出すことが多いのか」
「何を」
「その、斬られたときのことである」
「あぁ、時々夢で見ることがあるの。辛かったりすると特に」
「吾輩はすこしは頼りになるか」
「何を急に。はちといると気が楽じゃよ」
「伊藤といる時は…。いやすまん」
「はははは、はち、俊輔と比べても意味は無いじゃろ。はちははちで俊輔は俊輔じゃ」
「そうであるな」
「大事な同士じゃ。聞いたぞ、はちのお陰で参議になれたと」
「あの時は、黒田も言うてくれたけん」
「先遣隊を努められんですまんな。すぐに追いつく」
「先に行って待っておるぞ」
 馨は熱が下がり、動けるようになるまで、豊橋に滞在した。無事動けるようになると、急いで本隊に追いつくことができた。
 天長節である11月3日には静岡で奉員全てで祝うことができた。帝の出された勅題を賜り皆でご詠進するということもあった。

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