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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#19

策動(4)

 自分の部屋に籠もっていた聞多は、大の字になって転がっていた。こんなことで本当に意見は、上に通じているのだろうか。何が正解かもわからないまま、大袈裟にもできず、内密にすべきことを、関係者と思える人たちに話をしている。これで行ければよいが、行けなかったらどうなる。
 攘夷、条約の打破に、心血を注いでいる同士たちを裏切ることに、ならなければ良いか。
「あー考えが回っていくのう」
 声に出してみた。言葉も宙に舞って消え去ってしまう。

 引き止めるものはあるのかないのか。引き止めるもの、そうだ家族だ。娘が生まれたばかりだろう、このところ萩にも帰っていない。父親になった実感もまだないのだ。それに密航となれば、志道の家に迷惑をかけることになるだろう。
「離縁をするのか」
 それは一番最後でええはずじゃ。萩の家で義父が唱える祝詞も遠く感じた。

 聞多は高杉と共に京に向けて旅立った。あれこれ言われる前にかごに乗せて道中ほぼ通した。途中の宿場での酒盛りを控えさせるのも骨を折ったことだった。このときは路銀を少なめに見積もっておいてよかったと思えた。到着したら派手にやろう、それだけを楽しみに旅路を急いだ。

 藩の京屋敷につくとすぐに旅装を解いて、世子様にお目通りを願った。すぐに高杉共々座敷に通された。

「この通り、高杉を連れてまいりました」
「本当に一月足らずで連れてくるとはの」
 世子定広は機嫌が良かった。
「これを殿がそなたにと。わしからのも一緒にある」
「ありがたきこと、嬉しく思いまする」

 うやうやしく書付を聞多は受け取った。定広は高杉に向かって言った。

「そなたの顔見るのも久しいことじゃ。これよりはこの京にてやってもらいたいことがある。励んでくれよ」
「申し訳ございませんでした」
 高杉が頭を下げながら言った。
「これより仰せの通り励みまする」
「そうじゃ聞多、あとで周布のところへ参れよ」

 それだけ言うと定広は座を立って行った。残された高杉と聞多は受け取った書付を開けてみた。そこには、藩公の「量時度力」と世子様の「思辨」の文字があった。これは、お許しが出たということだ。

 感激している聞多が高杉には遠くに感じていた。聞多は目指しているものに近づいているというのに、己は何をしているんだろうと歯がゆかった。
 
 そんな高杉を気にもとめずに別れると、聞多は周布のもとに向かった。程なく通されると周布はにこやかに迎えた。

「またせたな。お主らの願い通ったようじゃ」
 周布は命令書を聞多に渡した。
「お主はお役目から外された上で野村弥吉、山尾庸三の三名に5年間の海軍修行を命じる。その上で内密のことなので藩公の御手元金から稽古料が出される」というようなものだった。
「稽古料とはいか程ですか」
「一人200両、合わせて600両じゃ」

 聞多には一人200両が妥当な金額とは思えなかった。周布のもとを下がると京にいる野村と山尾と会合を持つことにした。

「弥吉も山尾もすまんな。エゲレスに行くお許しが出た」
「それは何より」
 野村弥吉がまず言った。
「渡航の段取りはどうするんじゃろう」
「それじゃ」
 聞多が受けて言う。
「お許しは三名。一人200両で合わせて600両。それで足りるとは思えんのじゃ」
「それなら山尾に先に江戸に向かわせて調べさせればええじゃないか」
 弥吉が山尾の方を見ながら言った。
「そうじゃな。江戸にいる俊輔にも文を出しておく。山尾とともに伊豆倉あたりのつてを頼って段取りを付ければええと書いておく」
「山尾よろしく頼む」
「わかりました。実現はこれからですから、やりますよ」
 山尾が気合込めた姿を見て、弥吉と聞多はおかしくて笑い転げた。

 聞多は二人と分かれると、夜になった祇園の方に足が向いた。ここにもけじめを付けなくてはいけない人がいる。馴染みの茶屋に行き、呼び出してもらった。

「あら、お忙しいお人がいらっしゃいますな」
「知っておったか、西尾」
「そりゃ長州の皆様のお話で、大体のところはわかります」
「ここ三月あまりで江戸との一往復半じゃ。流石に疲れたのう」
「これでしばらくは都におられるのですか」

 聞多の目が泳ぐのを見た西尾は、膳を挟んで酒をつぐのをやめた。隣に座りしなだれかかった。

「なにかおありですか。国元にお帰りとか」
「三輪山をしかも隠すか雲だにも情あらなむ隠さふべしや」
 聞多は歌を口ずさんだ。それは旅立ちの時をうたったものだった。
「国元ではないどこか遠くへお行きになるのですか」

 西尾を抱き寄せただけで、聞多は何も言わなかった。

「ずるいじゃありませんか。別れるのならそうおっしゃってくださいな」
「エゲレスに行くことになった。密航じゃ。国禁を犯すことになる。このことを知るものは多くはないはずじゃ。そなたも忘れてほしい」
「あなた様がおらんようになったら、別の御仁と恋をいたします。でも忘れはいたしません。あなた様にも忘れさせません」

 控えの間に慌てたように西尾は行って、すぐに戻ってきた。
「思い合う者同士なら着物を交換するもの。今はそれができませぬ。なればこれをお持ちください。そしてあなた様のお持ちのものをくださいませな」
と言うと、小さな手鏡を聞多の前においた。
「わしこそ突然のことで渡せるものなどもっちょらん。これで勘弁してほしい」
 そう言うと、懐の紙入れを西尾の懐に入れた。後ろから抱きしめた形になったが、それ以上のことはできなかった。西尾は向き直っていった。

「心置きなく、お行きください」
「うむ、わかった」

 枕をともにせず、聞多は屋敷に帰ることにした。未練と思いたくはなかったが、鴨川べりを歩くと少し肌寒い感じが寂しさとつながった。
 こんな夜に志道の家に離縁状も書かねばならないのか。
 やるべき順序を間違えたな。


 京での最後のすべきことは、一番の問題である、久坂玄瑞にエゲレスに行くことを認めさせることになった。
 日々長藩のため、攘夷活動の周旋に費やしている久坂に、理解してもらえるか不安だった。自分は感動していた佐久間象山の話にも、久坂は苛立っていたのも思い出していた。面会に行くと品川弥二郎も同席していて、聞多は余計に気が重くなった。

「高杉あたりから聞いていると思うが、わしら俊輔や山尾とエゲレスに行くことになった」
「盟約はどうなる。品川の焼き討ちの仕事振りは素晴らしかった。それに京での斡旋方でもあるではないか。君はもう欠かせない存在なんだ」

 久坂はあくまでも、同士としての活動をするべきだと、言い張っていた。

「すまぬが抜けさせてもらいたい。いや抜けるわけではない、攘夷のために異国に行くのじゃ。皆と活動できなくなるだけで何も変わらぬ」
 そう、わしは即時の攘夷でなく、未来の攘夷のため動くのじゃ。
「孫子の兵法か」
「そうじゃ、異国で学び海軍の増強のため励むのじゃ」
 弥二郎は何も言わなかったが、怪訝そうな態度は隠していなかった。
「異国に行ったら、異人に丸め込まれるのじゃないですかのう」
 弥二郎がぼそっと言った。
「そもそも君、横浜遊学って言っても真面目にやってなかったじゃないか。ここで横浜、長崎でもええんじゃないか」
 久坂が痛いところを突いてきた。
「そんなことで相手を知ることになるか。わしは海軍を学ぶのじゃ。それには現地のエゲレスに行くのが一番の近道じゃ。頼むわしの攘夷のためじゃ、わかってくれ」

 長い沈黙だった。久坂は宙をじっと見ていた。そしてやっと切り出した。

「わかった、君の攘夷を貫いてくれ。成果を楽しみにしてるよ。いいな弥二郎」
 二人がやっと理解を示してくれて、聞多の京での日々は終わりを告げた。



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