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#70 『丁寧に暮らす』ってこういうことだったんだな


最近、平日は息子と家に居て、今ままでやったことのない丁寧な暮らしをしている。

ここで触れたのだが、今同居中の息子は、食べ物と人間の身体のことにはなぜか博識である。

丁寧な暮らしといっても、私たちのはすべて食が中心なのだが、この息子がいなくなっても忘れないように、今の私たちの実践の記録を残そうと思う。



1.一日の水分・食事摂取量を把握する


これまでだと、まず朝起きて私が口にしていたものといえば、夫が淹れてベッドまで運んでくれるコーヒー (カフェインなし) だった。

夫がやってくれるかどうかは決まりごとではないので、いただけるなら喜んでいただくし (なぜならそれはどうやら身体にとって便通の合図になっているようだ)、そうでなくても手を伸ばせばボトルの水がある環境を作ってみた。

『そこに心が入ってないのに、惰性で飲み食いする‥‥』ということがある。惰性で食べるのは嫌だが、水に限ってはこの『惰性で飲んでしまう』を大いに活用しようと思う。

今、500mlのボトルを使っている。これを絶えず身の回りに置き、外出時もそのまま持って出る、という我が家の子どもたち全員がしていることを真似てみた。これで飲んだ水の容量がわかり、自分の力の出具合との比較ができるようになった。

先日の余談だが、月曜から明けたファスティングの回復食一日目夕方の卓球クラブで、一時間で体力が尽きたこと、口が乾いて仕方なかったことで途中で帰ってきてしまった。食べることばかりに意識が行ってしまい、一日を通して水を飲むことがおろそかになっていたと気づかされた。

食事の時、私は大皿に盛ったものを家族で取り分ける食べ方が好きだ。そのほうが美味しく感じるのだ。

我が家はイギリスらしく (汁物以外は) ワンプレートですべてを食す。ファスティングで浄化された胃腸に入れていく食べ物はちびりちびりとお皿に載せてゆっくりゆっくり食べていたが、味覚が研ぎ澄まされるので、何を食べても感動する。

息子は最初からそれぞれのおかずを全部自分のお皿に並べてから食べ始めたので、「そんなに食べられるの?」なんて言っていた私だが、結局美味しいのでちびりちびりとお皿に載せる回数がやたら多かった。

その自分のやり方に大きな欠陥があることに気づくのだ。目で確認する量が少ないので気分的に少ししか食べていない気になってしまい、結局自分がどれだけ食べたのかわからない

考えてみれば、自分の健康を管理するのに、身体に入れた水と食べた物の量をわかっていないのはなんだかすごく間抜けなことだった、とやっとこんな歳になって若い世代から学んだのだ。

2.  食べ分けを考えて、その日の食事を計画する


息子は母譲りで腸がメンタルと直結体質なので、身体に良いといわれる食事法を半年ほど続けては、また別の方法を繰り返し、なんとか健康な腸にしたいと一生懸命だ。

会うたびに違う食事法をしていた息子は、今回実家に戻ってきてから、みんなが食べるものをほぼ一緒に食べてきた。一般的に健康的と言われる食事をしているつもりだが、腸の調子が良いとはいえなかったのだ。

今回一緒にファスティングをして腸内をリセットしたのを起点として、同時に食べる食品のコンビネーションを考えてみようと決めた。Food combining (フードコンバイニング) といわれる方法であり、英語で検索すると豊富に情報が得られる。

例えば、Miss Emma Troupeのブログから抜粋してみると、このフードコンバイニング (食べ分け) をきちんとするなら消化不良は起こらないと言う。

たんぱく質と炭水化物を同時に摂ると消化に時間がかかり、別々に食べれば2時間で消化しきれるものが8時間から3日かかることもあるという。 果物は消化が速く、まだ消化されずに滞っている食べ物に止められると、そこで発酵する。ほかの食べ物を腐らせガスを生成するので、空腹時に食べるか、あるいは食前に食べなければならない。果物の中でもメロン類は一切ほかの物と混ぜず、空腹時に単独で食べる‥‥ などなど、ルールはいろいろある。

もっとも私は食べ分け以上に食べる量を抑えることが大切だと思っているので、食べ分けにずっとこだわり続けなくてもよい食べ方を開拓したいと思ってやっているのだが‥‥

毎朝、私たちはそれぞれに食べたい果物を好きなだけ食べている。といっても胃が小さくなったので少ししか食べられない。一日で果物を食べる時間帯は朝食時で、朝食は果物だけという食べ方が決まった。

昼食と夕食は、朝息子とプランを練る。食べることに真剣そのものだ。

野菜は何と合わせてもよいが、たんぱく質と合わせるか、炭水化物と合わせるかという二者択一でしかない。たんぱく質と炭水化物を同時に摂ることはNGなのだ。なんでも、タンパク質の分解に必要なエンザイム (酵素) を炭水化物が阻害するとかなんとかだった気がする。私の記憶は頼りにならないので勘弁いただきたい‥‥ ご飯やポテトを食べる時は野菜と一緒の食事しかない。 次に肉、魚、豆腐、卵を食べたいときはご飯もパンもなしで野菜とだけ食べることになる。 話題の糖質制限ダイエットでのご飯を食べない食卓に似ているかもしれないが、これは一回の食事風景のことだ。 次の食事ではたんぱく質抜きなら、もりもりご飯を食べてもいいということになる。

先日の結婚記念日の晩御飯では夫がステーキサラダがいいと言った。我が家ではステーキ一枚を3人で分けた量で肉は十分なのだ。

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ファスティングの回復日の翌晩にこんなものを食べている。まったく我慢なく食べることができている。このお皿の上のポテト、サラダの中にザクロの実を入れてしまったことはNGだった。まだ慣れていない私は、このあと両方夫に食べてもらった。

普段の私ならここでご飯を一杯、なんならバターをたっぷりつけたパンを一切れ食べただろうし、お皿にはポテトとサツマイモのローストも載せていたと思う。そんなだった摂取量をファスティングでリセットし、維持することに成功している。

このお皿の料理をゆっくりゆっくり食べたら、デザートなんて意識にも上らなかった。

体重も少しずつ減っていくような気しかしない‥‥ 前向きに希望している。

3.素材のおいしさを活かし切って料理する


息子のペースに巻き込まれ知らず知らずのうちに丁寧に計画したら、作るのも丁寧になってきた。29年も主婦をやってきたはずの私が何から何まで教えられているのである。

ステーキ肉を浸け置きした液にターメリックの粉を入れていたら「ターメリックは焦げる」と言われ、実際焦げた。自己流がバレる。

我が家には美味しい天然酵母パンがある。これが食べたいときには野菜だけで満足できるメニューを考えるのだ。野菜はできる限り生に近いもの、あるいは軽くスチームして、エンザイムを殺さないようとの教えを受ける。スチーム野菜のおいしさも新鮮な驚きである。

そうなのだ。主婦をやっている間にいかに手抜きを覚えたことか。食べることは大切と知りつつ、一斉にオーブンに入れておけばメインの物を作っている間にすべての野菜がローストされる。それで十分だった私に、息子はこの野菜はこうした方が美味しいというやり方を見せてくれるのだ。

色とりどりのパプリカの品種のようで、チリのような小さなサイズ、甘くもなく、かと言って辛くもない野菜がある。どんな料理にいれてもどうもピンとこない。息子はそれを小さなフライパンのたっぷりのオイルに入れ、弱火でまずにんにく、香りがついたら取り出し、そこにそのパプリカを入れた。わたしなら気が遠くなるほどに時間をかけて低温で調理した。そのパプリカの甘くて美味しいこと!

食べる量を減らしたことで、食べる分の栄養と美味しさは有効に身体に入れたいと思うようになるから不思議だ。

量より質。質は丁寧に料理することで生み出せるのだ。

4.食べることに集中してゆっくり噛んで食べる


我が子なのにまず驚くのは、食事する時にとにかく落ち着いているということ。食事のスピードが私たちより格段にゆっくりなのだ。まるでどこかのお坊ちゃまが食卓にいるように彼だけ優雅である。

咀嚼の回数が多いことは消化液の分泌に大切なのはもとより、頭がよくなると私はずっと信じている。昔まだ子どもたちが小さかったころ、日本のテレビで『咀嚼』の大切さを特集していて、番組のスタジオに『食事をよく噛んで食べる』若者たちが呼ばれていたのだ。そして一口を30~40回ずつ咀嚼する東大生が数名いたことが何故だか記憶に残っている。

我が子たちは「食べ物をよく噛んでね。東大に行く人達は40回嚙んでるよ!」という私の意味不明な励ましを聞かされて育った‥‥ これは今でも私が子どもたちから揶揄されるエピソードである。

「美味しい~!」と言いながら食べる。家族の言葉を聞くのも、自分が言っても、そんな『言葉』がごちそうになる。「ご飯中は静かに‥‥」なんて言ったことはない。食事とはソーシャルな場でいいと思ってきたが、今ちょっとだけ、思いとどまっている。

咀嚼する回数が多いと、食べているものの美味しさに集中できる。話ができないからだ。そして、それはそれで意外と豊かなことだと気づいた。

心に余裕がないとできないことだから‥‥

腹八分目が健康にいいことは誰もが知っている。いつもいつも満腹以上に食べていた私の胃腸は堪ったものではなかっただろう。ただ、『おっと、八分まできたぞ。ここで止めておこう』なんて、本当に自制できる人がいるのだろうか‥‥ 
食べる量が半分以下になった今の私でも腹八分を知るというハードルがいちばん高い気がしている。

胃腸を大事にしたい想いから始まった、私たちの食べ方の実践によって学んんだのは、惰性で食べないで、食べることを特別な営みにしようということだ。特別だから大事にしようと思う。

『何をどう食べるか』を一緒に考える楽しさ、

一緒に作る楽しさ、もちろん食器洗いも片付けもセットだ。

そして一緒に食べる喜び。

今こんな時間を一旦家を出ていた25歳の息子と過ごせているなんて、いくつもの偶然が重ならないと無理だった。

私たちはコロナ渦でいろんなものを失って諦めてきたかもしれない。

それでも今、こんな予期しなかった時間を持てていることには感謝しかない。

『食べることで私たちは真剣に団結してる‥‥』


食べることは生きることなのだ。大事に大事に食べ物のいのちをいただいていこう。






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