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【フレスコボールマガジン RALLY & PEACE】山下祥・弘田聖[2]

「サトショーペア」結成。

ジャパンオープン約1ヶ月後の逗子ローカル大会の帰り道。GVKメンバーを乗せた岸田選手の車に、山下と弘田がいた。山下は「会って間もないし、年上だったけど、とにかく波長が合った。この人は口から生まれたんじゃないかと思うくらいよく喋る」。弘田は「そのときはまだ”山下さん”って言うてたかな。関西に帰るまで6時間超、ほぼ二人で話していた。オモロイやつやと思った」。

「”創る喜び”を知ったからこそ、新しいペアと挑戦してみたい」。2019シーズンの日本代表を逃し、山下の気持ちは翌シーズンに切り替わっていた。お互いに野球部出身、めちゃくちゃ負けず嫌いという共通点、6時間の車中で気づいた面白さ。そして何より、「創る喜び」を弘田とならさらに広げていけそうだった。

山下の想いを、弘田も感じていた。日本一を経験した選手と初心者の自分がペアを組むということ。覚悟がいることは、誰よりもわかっていた。「不思議と、それでも頑張れる気がしていた。だから最終的に覚悟を決めて、ペア組もう!と誘ったのは自分」と弘田。

2019シーズンを山下と戦い、日本一をともに味わった岸田選手は「やるからにはサトシさんを優勝まで導いてくれ。応援してんで!」。弘田のペアだった岡村選手も「俺も結婚したばかりで、あんま練習行けへんのが申し訳なくて。もちろんええよ」と快諾。周囲の後押しもあり、「サトショーペア」の2020シーズンが始まった。

大蔵海岸との出会い。

2019年10月。ペア結成からほどなくして、GVKは拠点開拓の一環で兵庫県明石市にある、大蔵海岸に赴いた。明石海峡大橋が優しく見下ろす白砂の海岸には地元の親子連れが行き交い、あたたかい空気が流れていた。

「大蔵海岸に普及のポテンシャルを感じています。ふたりで、兵庫普及プロジェクトをやらせてください」。GVK松井代表に直訴した。山下・弘田が住む大阪からは往復3時間以上。それでも毎週末、大蔵海岸に通い続けた。ビーチの周りで遊んでいた家族が「なんていうスポーツですか?」と声をかけてくれることもあったし、興味がありそうに見ている人がいたら積極的に声をかけ、体験してもらった。

「あ、この前のお兄ちゃんたちや!」「次はいつ来るん?」。世話好きな山下と弘田をはじめ、明るいGVKメンバー達と地元の方たちが打ち解けるまでそう時間はかからなかった。

「マイラケット買っちゃったよ!」「幼稚園のママ友連れてきたで〜」。大蔵海岸に、ひとり、またひとりとフレスコボールをする地元の方が増えていった。

「フレスコボールに出会って、休みがちだった子が学校に行くようになったとか、夫婦の会話が増えたとか、思わぬ形でたくさんの人に感謝された。この前は、いつもお世話になっているご家族に招かれてひとりでお泊りに行ったりして」と山下。「自分たちが楽しんで、やった方がいいと思うことをやっているだけだけど、結果として、関わった人達にプラスの影響を与えられたと思うとすごく嬉しいよな」と弘田も続ける。フレスコボールをやっていなかったら出会えなかったできごとの数々を、大蔵海岸で撮ったたくさんの写真を見ながら、ふたりは振り返った。

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「橋」

山下の予想通り、弘田とのタッグで「創る喜び」は、より増した。大蔵海岸に通い始めて数ヶ月。ゲラゲラカップと銘打ったローカル大会の開催案をふたりで立ち上げた。偶然にも、大蔵海岸からほど近いゲストハウス「ゲラゲラ」のオーナーが弘田の大学の後輩という縁もあった。頑張っている後輩のことも応援したかった。

大蔵海岸で出会った多くの方々に、フレスコボールの試合を体験してほしい。日本のトップ選手のプレーも見てほしくて、関東や九州から日本代表選手たちにも来てもらった。何より、今まで関東でしか行われていなかった協会主催の公式戦を関西でもできることを証明したかった。大会の開催意義は明確だった。

すぐにGVKメンバーを巻き込んだ。メンバーの得意分野ごとにチームを作り、何度も打ち合わせを重ねた。意見がぶつかれば、”なんのためにこの大会するんだっけ?”と、初心に立ち返った。「選手としてのポテンシャルを感じている明石のパパを日本代表と組ませたり、他地域同士のメンバーが交流できるようなチーム編成にしたり、懇親会の席順までも、実はすべてに意味を込めていた」とふたり。準備物や手続きなどは数え切れなかったが、それよりもワクワクが勝っていた。

2020年2月23日。忘れられない一日になった。通い始めた頃には想像もしていなかった景色だった。大蔵海岸に溢れる、人。笑顔。歓声。

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「全国から足を運んでくれた人たちもホームだと感じられる大会にしたかった。昨年の東京での公式戦で逗子フレスコボールクラブのメンバーたちが自分たちに声援をくれたことが忘れられなくて」。関西からたった4人で挑んだ公式戦での想いがここに活きた。

この日の閉会式、山下から明石を本拠地とした新たなクラブチーム「フレスコボール明石Grêmio PONTE」の設立が発表された。「PONTE」の意味はポルトガル語で『橋』。明石海峡大橋の下、フレスコボール界の新たな架け橋となれるように…。自分たちがいない日も大蔵海岸に行けば誰かがフレスコボールをしている。通い始めた頃に描いていたそんな夢への道が、この日始まった。

「やろうぜ!って計画しても、どこかで失敗したり、実行できても主旨がずれたりすることはよくある。でも、やましょーとやろうぜ!って言った計画は今の所、主旨も含めて、全部達成してる」。弘田は嬉しそうにそう語り、恥ずかしいから本人には言えんけどな、と付け足した。

応援されるペアに。

ふたりはプレー面でも、らしさを活かして緻密に高め合っていた。ラリーの動画を撮影し、山下が動画を切り取ってメモをつけてアドバイスをする。「うまくいかんかったな」で終わることはなく、相談と分析を繰り返した。ついこの間まで初心者だった弘田も、今では日本代表選手たちにも「サトシさんのディフェンスは打ちやすい」と言われるほどに成長した。

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あいにく、山下・弘田ペアの初陣の予定だった3月のオオモリカップ、続く5月のズシカップは相次いで中止になった。それでも、心が折れることはない。

「出るからには1位を。ハードルが高いことはもちろん分かっているけど、それくらいを目指さないと、このペアを組んだ意味がない」。ふたりは口を揃えた。

「勝つためだけなら自分らの練習だけすればいい。だけど、自分たちは普及にも注力したい。そうすることでフレスコボールそのものの価値を高めていけると思っているから。勝利に対しては最短距離のやり方ではないかもしれない。だけど、教えることで”教えられる”こともたくさんある。それを気づかせてくれたのは、GVKの仲間でもあり、大蔵海岸の方々。みんなへの感謝があるからこそ、勝ちたい。応援されるペアになろうと、ふたりで誓い合った軸は、一度もぶれたことはない」。

「よう練習中にゴミ拾ってるよな」。弘田が気づいている山下のルーティンがある。「勝利の女神は見てくれてると思って。ゲン担ぎです。何より、大好きな場所なので」。

そんな大好きな大蔵海岸にも足を運べない我慢の日々が続くが、自分たちを楽しみに待ってくれている人たちがいる。フレスコボール界に新たに架けた『橋』は、どんな逆風にも負けない。また皆で笑える日は、もう、すぐそこだ。


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