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赤のパプリカ

 縦に連なって歩く私たちの横を追い越した軽トラが、石造りの立派な門の前で減速して、ゆるりと中に入って行った。門の中には大小様々な木が並んでいて、真っ青な空をギザギザに切り取っている。門柱から玄関の入り口までは、都会の保育園の園庭くらいは充分にある。赤い瓦屋根がエレクトーンのように重なり、こちら側のほとんどの壁は格子模様にガラスの嵌った引き戸が占めていて、ところどころ開いていたり閉まっていたりしている様子は織物のようにも見えた。

 「すごい、映画みたい・・・」

 思わず声がでる。こんな家が実在して、まだ使っている人がいるんだ。いや、新幹線の車窓から時々見かけるから、頭では理解していたつもりだけど・・・祖父母の代からサラリーマンの私にとって、現実に使われている古い日本家屋に足を踏み入れるのは、25年生きてきて初めての経験だった。

 「はーい、みなさんいいですか」

 緑のTシャツを着た小柄なおじさんが手を何度か叩いて、みんなの注目を集めた。

 「1時までお昼休憩にします。このダンボールにお弁当が入ってるので1人1個ずつ持って行ってください。ペットボトルのお茶もあります。えっとサイトウさん、トイレはこちらのお宅でお借りできるんですよね?」

 「ああ、ここは友達の家だげど、話はつけてあっから」

 「だそうです。じゃ、みなさん、しっかり休んで。午後のボランティアも頑張りましょう」

 30人ほどが仕出し弁当の入ったダンボール箱に列を為す。「小学生OK、親子で復興支援!」とチラシに大きく書かれたこのボランティアツアーは、半分以上が親子での参加で、私のような大人ひとりでの参加は数人しかいなかった。

 弁当を受け取って辺りを見回すと、庭の一角に大きなブルーシートが敷かれていて、肥料袋やら農機具やらが積まれている。一番奥の角に陣取っていた小学生の女の子とお母さんに会釈をして、私も荷物を置いて仕出し弁当を開く。冷めたご飯の匂いが鼻にふわっと飛び込んで消えた。


 お弁当ガラを大きなビニール袋に捨てて、今朝見た津波被災地の光景をTwitterに投稿していたら、緑のTシャツのおじさんがサイトウさんと一緒にダンボールを抱えてやってきた。

 「みなさーん、サイトウさんから、採れたてのパプリカの差し入れです」

 ダンボールの中には赤や黄色のパプリカが詰められたビニールがわんさか入っている。後ろをついてきたサイトウさんの奥さんが果物ナイフでビニールを開けて、黄色いパプリカに刃をつきたて器用に種をとった。

 「このままでもすぐ食べれるよ?ホラどうぞ」

 最初に配られた子どもたちはそーっと口に運んでいたけど、すぐに大人たちから歓声が上がった。色褪せたピンクのエプロンをつけた奥さんは手際よくパプリカを切り分け、順番に配っていく。最初の黄色いパプリカはあっという間になくなってしまい、次に切り分けられた赤いパプリカの欠片が私に手渡された。つるんとして光沢のある表面は何となく見覚えがあるけど、白っぽくて繊維質な内部は私がこれまで見たことあるものよりもかなり分厚い気がする。一口かじってみると、シャキっとした歯ごたえがしっかりあって、水分がたっぷり含まれていて、ほんのり甘い。あと、なんていうんだろう、少し重さがあって、密度がぎゅっとしてる感じがする。新宿の駅ビルでよく行くパスタ屋さんのサラダに入ってるやつはもっと軽くてふわふわしてた気がするんだけど。

 「これ今朝取ったやつだからね。やっぱり採れたてが一番美味しい」

 白髪染めなのか日に焼けたのか、茶色い髪をおかっぱに切り揃えている奥さんがそう言うと、いつの間にか周囲に集まっていたお母さんたちが一斉に頷き、口々に調理法の提案を始めた。私には宇宙語にしか聞こえないその会話をさばきながら、奥さんは日に焼けた手でひたすらパプリカを切り分け続ける。大きくて、ごつごつした手。皮膚は少し乾燥していて、大きな爪の間にはところどころ黒い土が挟まってる。私は思わず自分の、傷一つない色白の手と見比べた。

 「サイトウさんは、農家の家に生まれたんですか」

 料理トークの合間を見計らって聞いてみると、奥さんは手を止めずに、

 「いんや、うちの人が55で脱サラして農業やるっていうから、それからだよ」と言った。

 「え、じゃあ最近の話なんですか」

 「そうそう。元々近所の畑手伝ったり、家庭菜園くらいはやってたけど。後継ぎがいなくて放ったらかされてた畑を譲ってもらって、農家始めたのが10年前くらいかな。最初は土がだめでねえ。随分苦労したけど、3〜4年経ってやっと上手くいき始めたって時に、津波にみんな流されちゃった」

 「・・・」

 「まあでもうちは孫もみんな無事だったし、家ももうすぐ建て替えできるからね。いい方だよ」

 私はパプリカの保存法を聞きに来たママさんに場所を譲り、そっとその場を離れた。かじった跡のあるパプリカの欠片を顔の前に持って来る。つやつやとした赤い光沢が真夏の太陽をしっかりと跳ね返す。私は何度も何度も手を返して、自分の顔に映る赤い光に見惚れていた。

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