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気ままに読後レポ『ノルウェーを変えた髭のノラ―男女平等社会はこうしてできた』

『代金はあとでいいから、この本読みな!』
そう言われ、(半ば強制的に)渡された一冊の本。表紙に目をやると、黒いペンで横一文字に引かれた髭をつけた女性が、何か言いたげにじっとこちらを見つめている。この本『ノルウェーを変えた髭のノラ―男女平等社会はこうしてできた』(以下、髭ノラ)を渡してきたのは、この本の著者である三井マリ子さん。2023年6月、埼玉県越谷市で開催された全国フェミニスト議員連盟の総会で、初めて直接お会いした(と思う)。

初質問と「5つの抑圧テクニック」

私のことを「世田谷!」(※)と元気に呼ぶ三井さんがこの本を勧めてくれたのには訳があった。(※)「レペゼン世田谷」って意味だよ。ややこしい名前じゃなくてお互いを国名で呼び合う国際会議の場みたいにね。

この日、パネルセッション登壇者の一人として参加した私は、初めて挑戦した4月の区議会議員選挙のことや、当選後の議会での経験について話した。中でも会場の女性議員たちの共感を呼んだのは、終わったばかりの6月定例会で経験した「抑圧テクニック」の話。概要はこんな感じ。
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私が壇上で質問をしている際に、自民党の区議数名が突然、不自然に大きなおしゃべりを始めた。しかも、SRHR(Sexual and Reproductive Health and Rights:性と生殖に関する健康と権利)と包括的性教育に関する質問の時だけ!緊張でガチガチの中でも気になるレベルの“雑音”に、質問を終えてから私は一人でひっそり傷ついていた。後日、議場で傍聴していた大学生のサポーターから『あれは、抑圧テクニックだ!』と教えてもらった・・・
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「5つの抑圧テクニック」(De fem hersketeknikker/ The five master suppression techniques)を提唱したのは、ノルウェー左派社会党初代党首で社会心理学者のベリット・オース。『髭ノラ』では、ベリットが来日した際の講演録を三井さんが日本人用に書き起こして、これについて説明されている。
それによると、「5つの抑圧テクニック」とは、支配層が被支配層に対して用いる支配のためのツールとして、それはもう息するようにあちこちで駆使されているんだとか。支配関係を成り立たせるためには、相手を自分より「劣った個人/ 集団」として規定する必要があり、そのためにこの「5つの抑圧テクニック」を単体で、あるいは二重三重に使うことで、相手の尊厳を奪い、自信を喪失させるのだそうだ。

具体的には、以下の5つが挙げられている。

  1. 無視する

  2. からかう

  3. 情報を与えない

  4. どっちに転んでもダメ(=何かをすると非難され、しなくても非難される)

  5. 罪をきせ、恥をかかせる

先の定例会で私が経験したのは、分類するなら1と5の合わせ技だろうか。
こちらが必死に話しているのに、他の人とおしゃべりすることで暗に私の存在を無視して“見えないもの”にする、さらにその光景を他の議員が目にすることで「この人の質問はこの程度の価値しかないんだ」と思わせ、間接的に恥をかかせる。
ちなみに、議員になって3か月半くらい経ったが、これまで私以外の女性議員(新人かどうかを問わず)に対しても、男性議員から2, 3, 5のテクニックが使われているのを目撃している。本人のいないところで、他の議員や職員に対して言う等、表立ってやらない、陰湿度高めのケースもある。

さて、ベリットによると、「抑圧テクニック」を5つに分類することには意味がある。まず、実際に抑圧テクニックを受けた時に、「あ、これって抑圧テクニックの○番目のあれだな」と気づくことができる。特定ができたら、その手口について他の女性たちと話し合い、客観視することができる(あなたや私個人の問題じゃない!)。さらに、テクニックを使ってくる側に対して手口を示すことで、抑圧の危険性を弱めることができる。これによって、女性たちは、自分自身を信じ、抑圧から解放されていく・・・

一度カラクリを知ってしまえば、もうこっちのものだ。なんだか少し強くなれた気がする。この「5つの抑圧テクニック」、ぜひ一人でも多くの闘うおんなたちに伝えていきたい。

ノルウェーの先進性を前に、希望と絶望を感じた

『髭ノラ』は、GGI(ジェンダー・ギャップ指数)世界ランキング2位、ジェンダー平等先進国として知られるノルウェーに焦点を当て、同国の男女平等施策、特にクォータ制がどのような歴史的経緯を辿って採用され、一般社会に浸透していくに至ったのか、その結果もたらされた社会の変化を明らかにしている。

「5つの抑圧テクニック」を提唱したベリット・オースが、半世紀前の1973年時点で、民主社会党(当時)の誕生とともに、ノルウェー初の女性党首となり、「党内の決定機関は50%を女性にすること」という綱領を制定していたという事実に、私は衝撃を受けた。
もちろん、ノルウェーの男女平等を推進した立役者は、ベリットだけではない。自由党初の女性党首であり、国連における女性の人権政策を内部から動かしたエヴァ・コルスタ(彼女の功績が偉大すぎる件…)、1884年創設の女性運動組織「ノルウェー女性の権利協会」の真の創設者ギーナ・クローグ、今から100年以上前の女性参政権獲得運動でギーナとともに尽力したフレドリッケ・マリエ・クヴァムとラグナ・ニールセン、ノルウェー女性解放運動の母カミラ・コレット、などなど・・・数多くの女性たちが、男女平等を求めて闘った歴史があり、それが今のノルウェーに繋がっていることを知った。

ノルウェーでは、政治分野、経済・産業分野をはじめ、社会のあらゆる領域で女性たちが、本当の意味で“活躍”している様子が窺われ、私は「ジェンダー平等な社会は決して夢物語ではないのだ!」と希望を感じた。

その一方で、自分が今暮らしている国とのあまりに大きすぎる差に、絶望を感じざるを得なかった。本当に何もかもが違いすぎて、「もしやヘルジャパンとは交わらない、別世界の話なのでは…?」と思わないと、とてもじゃないがやってられない!と嘆きたくなるほどである。同じ時間軸で世界は回っているはずなのに、どうしてここまで差が生まれてしまったのか?

ジェンダー平等優等生のノルウェーだって、130年ほど前は男尊女卑当たり前の社会だったのである。それがよーく分かる男性たちの発言録が、P. 60に紹介されている。

「女性には男性にはない別の使命がある」
「両性はそれぞれ自然な役割を持っており、男女平等になると不幸になる」
「女性が投票するようになると、家庭崩壊を招く。自然の摂理に反する」
などなど・・・

2020年代の日本で、いまだによく耳にするようなワードが並んでおり、思わず戦慄する。日本の家父長制社会を存続させる社会装置の数々は、明治時代につくられたものであることを考えると、いまだに私たちは21世紀にあって、その実“19世紀の社会”を生きている、といっても過言ではないのかもしれない。

とはいえ、絶望していても何も始まらない。こんな“19世紀”を引きずるヘルジャパンでも、地方からなら変えられる!と思って、私は区議会議員になったのである。

『髭ノラ』第5章「ルポ・国政選挙2009」には、そのためのヒントが数多く散りばめられている。例えば、選挙制度をいきなり大幅に変えることは難しくても、自治体レベルでできることがあるかもしれない。選挙運動のやり方、一般市民へのアピール方法の工夫、区政レベルでの男女平等オンブッド(オンブズマンのこと)や子どもオンブッドの導入、スクール・エレクションの取組み、外国人参政権の導入等・・・
また、個人的にはP. 135に紹介されているヘードマルク県オーモット市での女性2名による市長職のワークシェアリングの事例が、すっごくいい!と思った。

アイスランドに次ぎ、ジェンダー平等社会に最も近いところにいるノルウェーとの間に、すでに130年分の差をつけられてしまっている日本。それどころか、ジェンダー不平等国世界トップを目指して絶賛爆走中である(白目)。再生産される家父長制社会にストップをかけ、ジェンダー平等に向けて実社会に変革を起こしていくために、パイオニアとして闘ってきてくれたフェミニストのおねいさまたちに学び、バトンを受け取り、各地の仲間と連帯しながら、地域から行動していきたい。

※本記事は、三井さんのブログ「FEM-NEWS」に寄稿するために用意したレポートの元原稿(全文)です。

・・・三井さん、めちゃくちゃ遅くなってすみませんでしたー!!!(スライディングジャンピング土下座)

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