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エンドレスヒール#37 -3.11

3月11日~12日 深夜

小さい頃の和美は、お話しを作るのが大好きな子供だった。
友達に「何か題になるような言葉を言ってみて。お話し作るから」とか
「主人公の名前、考えてみて。今、物語作って話すから。」
という遊びを、よくしていた。

当時の記憶をたぐれば、主人公の名前はいくつもあったし、たくさん話を作ったが覚えていない。
一つだけ。自分も素敵な題名と思ったのだろう。覚えている題名がある。

「鈴が鳴る。鈴が鳴る。」

残念ながら小学校に上がる前のことで、この話の内容も、題を考えてくれた友達名前も覚えていない。

よく自分が出て来ない、物語の最後まで映画を見ているような夢を見た。
後になって友達に話したが、それも残っていない。
思えば、何かに書いておけば良かった。
幼い時なりの発想があったはずだ。

幼稚園の時には、当時にはめずらしく ひらがなも カタカナも書けたし、簡単な足し算引き算が出来たのだから、書けないことはなかったはずだ。
その時は、書き残すという発想が無かった。

今では、小学校に入る前に出来て当たり前のことも、その当時は珍しく、ほめられて喜んでいた記憶しかない。

最近は幼稚園で、塾に行く子も多い。
和美は、小学校に入る前に出来たことが、入学後に学習意欲を失い、授業が毎日つまらなくて遊んでいるうちに、いつのまにか難しくなり、逆に落ちこぼれになってしまった。

その体験から、三人の子供には決して幼い時に塾には行かせず、長男が勝手にひらがなやカタカナを読みだし、三歳で週刊少年ジャンプを読み始めた時は、自分と同じ落ちこぼれになるのではないか、と真剣に心配した。

子供のDNAには、夫のものもあったことは、小学校に入ってから気づき、和美と同じ間違いは起こらなかったが、別の意味で苦労はあったが。

三人も同性がいて、同じなわけがない。
その苦労で、「私の子育ては帳尻があった」と和美は思ったが、今なお苦しみ続けているのは、何の因果だろうか。

そんな和美は、たくさん物語を書き続けたが、二十歳で筆を折り、その後「二度と書けない」と思いながら、約二十年後、2000年4月に再び筆を取ることになる。
かつて、書いたものは、レポート用紙に鉛筆書きで残っている。
しかし、それを持って逃げるのは難しい。あまりに量が多いのだ。

さらに2000年から書いた作品の一部は、フロッピーの破損により、印刷した作品のみのものも多い。
確実に残っているのは、2006年からの作品と、後にブログを始めた時に以前の作品からブログにアップし、ブログからコピペして、USBに落とした数作品だ。

しかし、それだけでも和美には貴重な作品だ。

特に「3歳から記憶にある話し」は、未だに誰から聞いたのか、夢で見たのか、自分で作ったのか、わからない。和美の貴重な記憶だ。
それゆえ、人から笑われても、和美にはそれらのUSBは、一番大切な、和美の生きた証なのだった。

和美が貴重品を入れたバッグと薬を枕元に置き、眠ろうと布団にはいると、圏外のはずの携帯が突然鳴り始めた。

続く
2011年4月23日(土)

エンドレスヒール#37 -3.11

その6年後、書籍に収納された「三歳から記憶にある話」
2017 短編集「白龍抄」より

かあさん、僕が帰らなくても何も無かったかのように生きていってね

次回 エンドレスヒール#38 へ続く
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