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出口のない動物園(短編小説)


雲ひとつない真っ青な空が広がる日曜日の午後、夏休みということもあって、市内の動物園は家族連れのお客で賑わっていました。入場口前にはまだ行列もできています。逆に帰り支度を始めるお客さんもいます。

そのうちの一組の家族が出口に向かうと、そこは工事中で立入禁止の看板が立っていました。工事期間は三日後の8月22日までと書いてあります。

「しょうがないな。じゃあ戻ろう」
パパが息子の手を引いて、動物園の入場口にやってきました。パパが入場口から動物園を出ようとすると、息子が大きな声で言いました。

「ダメだよ、パパ。そこは入口じゃないか。出口じゃないんだから、そこからは出られないよ」

まわりのざわめきが一瞬のうちに静まり返りました。まるで時間がストップしたかのように、人々は動きを止めました。

「でも、出口が閉まっているんだから仕方ないよ」「大人は子どもの模範にならなきゃ。こんなに子どもがたくさんいるんだから」

パパがまわりを見ると、確かにまわりの子どもたちがパパの顔を見つめています。パパが困り顔でまわりの大人たちに助けを求める視線を投げかけました。
しかし、パパの視線を避けるかのように、誰もが空を見上げたり、動物の檻を見つめたりしています。

入場口前には次から次へと人が集まってきます。入場口から出るのはルール違反だからみんな困っている、という話が伝言ゲームのようにその場の人たちに伝わっていきました。すでに入場口前は人だかりができてしまいました。

「あなた、今まだ動物園にいるの。今日は帰れないかもしれないから、夕飯は外食にしてね」
ある女性が携帯で電話しました。それをきっかけに、みんなが慌てて電話し始めます。

「あっ、部長ですか? お休み中すみませんが、明日は休ませていただきます」
「・・・」
「実は今動物園にいるんですが、出口が工事中で出られないんです」
「・・・」
「入口から出ればいいですって? 部長がそんなに常識知らずだとは思いませんでした。入口は出口じゃないんだから、そこから出たら子どもに示しがつかないじゃないですか」
「・・・」
「ズル休みじゃないですよ。私がそんなことするわけないじゃないですか。部長にそんなこと言われるとショックです」
「・・・」
「どちらにしても動物園から出られるようになるまでは休みますので」
「・・・」
「いつまでかって? 出口の看板には水曜日に終わると書いてありましたから、遅くとも木曜日には会社に行けると思います」

「お休みのところ、申し訳ございません。○○企画の佐藤です。実は明日のプレゼンの件なんですが、延期はできないでしょうか?」
「・・・」
「急なのはわかっています。ですが、動物園から出られないんです」
「・・・」
「なぜかですって? 出口が工事中で立入禁止なんです」
「・・・」
「入口から出ればいい? それができれば苦労はしませんよ。でも、入口は出口じゃないんですから、入口から出るわけにはいかないんです」
「・・・」
「準備ができていない言い訳じゃありません。昨日、徹夜で仕上げたんですから」
「・・・」
「なかった話にしてくれですって? 勘弁してください。このプレゼンには我社の命運がかかっているんですから」
「・・・」
「おっしゃることは、こちらとしても良くわかっています。わかりました。それでは部下に頼みます。これから電話でレクチャーしなければなりますんので、少しくらい不備があっても、その辺は大目に見てください。よろしくお願いいたします」

「園長を出せ。えっ、お前が園長か? ならば早くここから出せ。明日は大事な約束があるんだ」「・・・」
「園長なんだから、工事をするなら代わりの出口を用意するのが当たり前だろう」
「・・・」
「入口から出てもらうつもりだったって? ふざけるな。お前はお客にルール違反しろって言うのか?」
「・・・」
「手落ちがあったのはわかってるって? それならば早く対策を練るのがお前の仕事だろう?」「・・・」
「それなら工事業者を呼べ。呼んで、今日中に工事を終わらせろ」
「・・・」
「何、日曜日で連絡がつかない? じゃあお前が工事をしろ」
「・・・」
「無茶苦茶なのはお前のほうだろう? じゃあなんで、入る前に出口がありませんって言わなかったんだ?」
「・・・」
「とにかく早くここから出せ。いいな、一時間以内に出られなかったら、また電話するからな」

動物園側も困ってしまいました。閉園時間になっても、お客さんが一人も帰らないのですから。さっきから電話も鳴りっぱなしです。もういちいち電話にも出られません。

「とりあえずお客さんに配る弁当を用意してくれ」

園長の指示で5人の飼育員が慌てて、管理者以外出入り禁止のドアから外に出ました。

「問題が起きてすぐに閉園にしておけば、こんなに大勢の人が集まらなかったのに」
「何? 俺を批判するのか?」
園長が怒鳴りました。
「いいえ、そういうわけじゃありませんけど」
「そんなのはただの結果論だ。うちの経営だって厳しいんだ。夏休みの日曜日って言ったら一番の稼ぎ時なんだ。早く閉められるわけがない」
「でも、このままだと水曜日までの朝食、昼食、夕食のお金がかかってしまいます。これでは大赤字です」
「そんなのわかっている。工事業者とはまだ連絡がつかないのか?」
「まだです。明日にならないと連絡が取れないと思います」
「どいつもこいつも役立たずだな。何か良い案はないのか?」
「あればとっくにやってます」

チームワークが取り柄だった職場も、ひとつ事件が起きてしまえば、すぐにバラパラになってしまいます。

夕食が配られ、お客たちも一度は落ち着きを取り戻しました。しかし、夕食が終わると、またひと騒ぎが始まりました。
「今夜、ここで野宿しろっていうのか?」
「暑くて、もう汗でビショビショだ。冷房の効いた部屋はないのか?」
「せめてシャワーだけでも浴びさせてくれ」

外はもう暗くなりかけています。動物たちもいつもとは違う雰囲気に動揺しているようで、檻の中を右へ左へと歩き回っています。

そのときです。一番最初に入口から出ちゃダメだと言った男の子が、大きな木の板を持ってきました。そこにはマジックで大きく「出」と書いてありました。
「パパ、この板を入口の看板にくっつけて」
パパはまわりの人たちに協力してもらい、「入口」と書かれた看板の前に「出」の板を貼り付けました。「入口」の看板が「出入口」になりました。

「これで出られるね」
動物園に閉じ込められていた人々がいっせいに動物園を出ていきました。みんな、ホッとした顔をしています。

夜の動物園に静けさが戻りました。どうやら、これで動物たちもゆっくり眠れることでしょう。

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