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運命図書館 第4章(短編小説)

そもそもの始まりは運命図書館だ。
それが不幸の始まり。それまでの良太は、幸せかと聞かれれば幸せだと答えられるほどには幸せだった。不幸だと思うことがなかったとは言えないが、そんなのは誰だって一緒だろう。そんな自分がなぜかわからないが、運命図書館の神様に選ばれてしまってから、不幸ばかりが続いている。馴染みの定食屋は親父が死んで閉店になるし、結婚まで考えていた彼女も失った。睡眠不足で仕事のミスも増え、上司からの評価もガタ落ちだった。これもすべては運命図書館のせいだ。もうこうなったら、知っている奴らの運命を全部覗いてやる。

良太は会社の経理部で通勤費の計算担当をしていたから、従業員がどこに住んでいるかはすべて調べられた。まずは手始めに会社の上司、加納多喜子から読んでやろう。いつも口うるさい更年期障害女に、いつもペコペコ頭を下げるのにもうんざりしていた。あいつの弱みや暗い過去がわかれば、怒られていても腹の中では笑っていられるに違いない。

会社を出て、いつもとは反対方向の電車に乗る。15分ほど乗って、ターミナル駅で乗り換える。そこからさらに30分かけて、高級住宅地として有名な駅で降りる。駅前を5分ほど歩いただけで、すぐに運命図書館を見つけた。もしかしたら自分には運命図書館を見つける能力があるのかもしれない。

「加納多喜子の本をお願いします」
受付の男性を見つけると、良太はすぐに言った。

加納多喜子の運命は今、自分の掌の中にある。初めて加納多喜子よりも上の立ち位置にいるのだ。開き直りさえすれば、人の運命を知ることほど楽しいことはないかもしれない。良太は自分が神になった気がした。

加納多喜子は幼い頃、父親から暴力を受けていた。それが理由で男性恐怖症になり、54歳になる現在まで男性経験がなかった。男を見返してやりたいと努力して、男尊女卑の強いうちの会社で課長まで昇りつめた。部下の男性に厳しいのも当たり前だった。しかし、来年55歳の誕生日に役職定年になる。だから、それまで言いなりになっていた部下たちが自分のことなど相手にしなくなるのではないかとビクビクしていた。

不幸な人生には違いないが、だからといって人に八つ当たりされても困る。ただ、これからも幸せとは程遠い人生を歩むことになるから、少しかわいそうに思えてきた。あと1年弱で上司でもなくなるわけだし、残りの期間だけでもなるべく怒られないよう努力してみるか。

富美加に振られてから、新しい彼女ができなかった。よし、次のターゲットは自分の彼女候補に絞ろう。もちろん、良太が彼女候補だと一方的に思っているだけで、相手の意向などわからなかったが。

同じ経理部にいる高畑美樹のことは前から気になっていた。高畑美樹も大きな胸の持ち主だった。もしかしたら、高畑美樹の本に自分が登場しているかもしれない。それも彼氏として、あるいはもしかしたら夫として。

さっそく次の土曜日、高畑美樹の住んでいる町へ行った。図書館は10分足らずで見つかった。それも勘で、高畑美樹の最寄り駅からひとつ先の駅で降りたのだから、これはもう運命図書館を見つける才能としか言いようがない。本を借りて、急いで家に戻った。本を読むのが待ちきれなかった。

高畑美樹は、良太と同期で営業部所属の松岡大樹と付き合っていた。あいつ、彼女はいないなんていつも言ってたくせに、影ではあんな可愛い高畑美樹と付き合っていたなんて。でも、大樹と美樹なんて、名前だけは相性が良さそうだ。そう思って先を読むと、二人は3か月で別れてしまった。同じ部内にいるのだから一言くらい自分の名前が出てきてもいいようなものなのに、最後まで読んだが、良太の名前は悲しいことにどこにも出てこなかった。

もうやけだ。今度は山崎美波と川口陽菜の住所をメモした。山崎美波は人事部のマドンナ的存在で、周りにも信奉者がたくさんいた。川口陽菜はやや控え目なところがある上品な感じで、秘書室で働いていた。もちろん二人とも胸が大きかった。

二人の家はまったく違う場所にあったが、運命図書館探しのプロを自覚し始めていた良太は、一日あれば二人の本を借りられると考えていた。結果、半日で2冊の本をカバンに入れ、良太は家に帰った。

山崎美波の本に、良太は影すら存在していなかった。まあ、あれだけの美人で、男だってよりどりみどりなのだから、それも仕方ない。やはり美人というのは生まれたときから人生の勝ち組なのだろう。挫折らしい挫折は一度もなく、美人薄命と言われるけれど97歳まで幸せな人生を生きる。

良太は川口陽菜に賭けていた。実は川口陽菜とはエレベーターで二人きりになる機会が何度かあり、ちょくちょく視線が合っては、お互いに恥ずかしがってうつむいてしまうという経験があったからだ。あの娘は自分に気があるのではないかと、ずっとそう思っていた。

過去は読み飛ばして、会社に入ってからの記述が書いてあるページを探した。付き合っている男は影も形もなかった。自然と笑みがこぼれた。しかし、次の文章を読んで、ガッカリした。
「経理部の松原さんは私に気があるみたいで、しょっちゅう私の胸元ばかり見ていて、気持ち悪い」
期待が大きかっただけに、その反動も大きかった。川口陽菜がそんなふうに思っていただなんて、まったく思ってもみなかった。ショックでその日の夕飯は食べる気がしなかった。

3戦全敗。散々たる結果だ。ちくしょう、こうなったら片っ端から社内で気になる女性の本を借りてやる。下手な鉄砲も数打ちゃ当たる。なかには自分に好意を持っている女性が絶対にいるはずだ。

橋本奈月、沢口杏果、田中みやび、片山千尋、金沢優希、渡辺たまき、春日玲子、森山久美子、宮沢楓、藤村なぎさ・・・。彼女候補者はたくさんいる。

社内結婚だけが結婚ではないし、会社以外の場所で彼女ができるかもしれないのだから、そんなに社内の女性を調べて意味があるのか? そんな質問をしたい人もいるだろうが、良太はそんなことを考えもせず、片っ端から身近な彼女を探し続けた。それに、社外の人の住所を知るのは難しい。まさか家まで後をつけていくわけにもいくまい。それではストーカーと一緒ではないか。やっていることはストーカー以上にひどいことだったけれど、良太はそんなことに気づいてもいなかった。

それからは毎週土曜日に運命図書館で本を借りて、日曜日に読むのが習慣になった。

橋本奈月の家は良太の隣町だった。良太は朝一番に自転車で隣町に向かった。初めて運命図書館探しに3時間もかかった。地元の人でも通らないような細い道に、図書館はひっそりと佇んでいた。

図書館が小さいのは、たぶん町が小さく、住んでいる人も少ないからだろう。でも、小さくてもピンと張りつめた空気に満ちているのは、他の運命図書館と変わりなかった。図書館に入ると背筋も自然と伸びる。良太は受付の女性に橋本奈月の名前を伝えた。

橋本奈月は良太より二つ年上で、岩手県から上京し、有名大学に入った。大学時代はそれなりに遊んでいて、8人の彼氏と付き合った。その中には交際期間が重なっている男もした。大学卒業後、今の会社に入り、営業部に配属された。大学時代の彼氏とは入社2年後に別れた。その後、彼氏はいないようだ。良太の胸は期待に膨らんだ。しかし、橋本奈月の運命にも良太の名前は出てこなかった。橋本奈月は5年後に田舎に帰って見合い結婚、三児の母となり、82歳で癌で亡くなる。平凡ではあるが、幸せな人生だった。それはそれでめでたいことだ。

沢口杏果の住んでいる町は駅前に商店街もなく、改札口を出るとすぐに住宅が建ち並んでいた。運命図書館は沢口杏果の家のすぐ近くにあった。すぐに沢口杏果の本を借りて図書館を出た。

図書館を出たところで、ばったりと沢口杏果に会ってしまった。お互いに顔は知っていたから、軽く頭を下げて別れたが、相手から見れば空き地から自分が飛び出してきたのだから、不審な目で見られるのは仕方ないことだった。なんせ住宅しかないこの町に良太が来る用事などあるはずがないのだから。

沢口杏果は実家暮らしの22歳。付き合いたての彼氏がいて、良太と家の近くで会ったことをその彼氏に話していた。
「なんだか気味が悪い。まさかストーカーじゃないよね?」
「今度家の近くで見たら、俺に言ってくれよ。そいつを締めてやるから」
そんな会話が載っていた。
沢口杏果にはこれから近づかないほうがいい。それにしても、やっと自分の名前が出たと思ったらストーカーに間違われる始末だ。

あいからわず良太は自分がストーカーまがいのことをしていることを自覚していなかった。

田中みやび、片山千尋、金沢優希、渡辺たまき、春日玲子、森山久美子、宮沢楓、藤村なぎさと立て続けに本を借りたが、良太の運命の人は一人もいなかった。もう社内結婚はあきらめるしかない。それにしても、あまりにも虚しすぎる。

この頃から、道ですれ違う女性や電車で向かいの席に座る女性など、どうも若い女性を見ると、その女性の運命はどうなっているのか考えるのがクセになってしまった。この女性はやっと出会えた運命の人ではないか? あの女性は良太と小指と小指が赤い糸で結ばれているのではないか? しかし、名前もわからず住所がわからない以上、その女性の運命を知ることはできない。良太の運命の人を探す方法はなくなってしまったのか?

いや、ひとつだけ方法はある。そう、松原良太の本を読めばいいのだ。そこには必ず良太と結婚する相手が登場する。
                   <続く>

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