見出し画像

死亡まで54時間(ショート・ショート)

「あなたは54時間後に死にますよ」
そんなことを見知らぬ人から言われても、あなたは信じないでしょう。
しかし、後になって段々と気になり始めてくる。湯船に浸かりながら、あの奇妙な男に会ったのは7時くらいだったから、もう2時間経過したことになる。残りは52時間か、となると、しあさって日曜日の朝1時に死ぬというわけだ、などと頭の中で計算してしまう。あなたは残りの52時間が早く終わり、自分の不安が杞憂だったと思いたい。でも、もしかしたらその時間、自分は本当に死んでいるんじゃないか、なんて意外に神妙な気持ちにもなったりする。それがイライラを生み、妻につい苛立ちをぶつけてしまう。妻も短気なほうだから、売り言葉に買い言葉でケンカになってしまう。

あなたはきちんとスケジュールを立てて生活している。
平日は毎朝6時に目覚め、7時に家を出る。駅までの道はいつも同じで、変える気など毛頭もない。帰りは帰りで、夕方6時半には会社を出て、行きと同じ道を帰ってくる。家に着くのは7時半。夕食、入浴を済ませて、1時間ほど本を読んだり、テレビを観たりする。そして10時にベッドに入る。

あなたを殺そうとする相手にしてみれば、日々の生活リズムが決まっているほうが、殺すのに手間がかからない。でも、あなたはそんなことを考えたこともない。殺す側にとって、これほど殺しやすい相手はいないのだ。

ただし、夕方7時半ともなると、人通りがまだまだ絶えない時間帯だ。殺すほうだって捕まりたくはないのだから、そんなに人目の多い場所であなたを殺すわけにはいかない。殺す側としては、そうなると土日祝日の行動予定も把握しなければいけない。

あなたは休みの日もスケジュール通りに行動する。土曜日の朝は10時に起き、朝、昼兼用の食事を摂る。それからもベッドでダラダラ過ごし、午後3時にシャワーを浴びる。それから「いつもの友人と飲みに行く」と妻に告げて、家を4時に出る。5時に渋谷で待ち合わせしている。あなたは5時ちょうどに渋谷駅スクランブル交差点の向かいにある本屋に到着する。お相手の女性はほぼ毎回30分は遅刻するが、あなたは必ず5時に本屋へ行く。

5時半になり、ようやく「いつもの友人」という名の愛人が本屋に到着する。レストランの予約は毎回5時45分と指定している。二人で歩いて15分でレストランに着く。2時間食事とワインを楽しんだ後、二人は円山町へと向かう。ラブホテルに入り、2時間半後に出てくる。本当は泊まっていきたいのだが、最近妻があなたの浮気を疑い出しているのに、あなたは気づいていた。お相手の女性も既婚者のため、家に戻る必要があるので、渋谷駅で10時半に二人は別れる。
あなたは酔っぱらわなければいけないので、いつもの渋谷のバーでロックのウイスキーを3杯飲む。家には日が変わった午前1時10分に帰る。その時間になれば通行人はまずいない。殺すチャンスは駅から家までの間、それも家になるべく近いほうが安全だ。

そして土曜日がやってきた。
朝10時に目覚め、食事をする。午後3時にシャワーを浴び、4時に「いつもの友人と飲みに行く」と妻に告げて家を出る。あなたは愛人に会える喜びで、死ぬと言われた時間のことなど、すっかり頭から消えている。

5時に渋谷の本屋へ到着、5時半に愛人が来ていつものレストランへ行く。ゆっくり食事してから、円山町のホテルに入る。午後10時15分にホテルを出て、10時半に渋谷駅で別れる。そしていつものバーに入る。
一息ついて、あなたは死ぬと言われた時間のことを思い出す。明日の午前1時までは後約2時間だ。突然あなたは気になり始める。1時といえばちょうど駅から家に帰る途中で、その時間帯は一人だけで歩いている可能性が高い。全身に鳥肌が立った。そうだ、今日は早く引き上げるとするか。あなたはウイスキーを1杯で止めて帰路に着く。駅には0時45分に到着。家までは10分だから0時55分には家に帰れる。家に帰ってしまえばもう安全だ。あなたは家への道を急ぐ。

あなたは家に入り、すぐに鍵をかける。これでホッと一息できる。やはりあれはただの嫌がらせだったのだ。そう思って寝室を見ると、電気が点いていた。おやっ、妻は起きているのか。それともトイレにでも入るのか。

妻が寝室から出てきた。目が吊り上がっている。
「あなた、浮気してたでしょ」
妻が叫ぶ。
あなたが最後に見たのは妻の右手に持った出刃包丁だった。

時計が午前1時を知らせる。
妻があなたに覆いかぶさりながら泣いている。
でも、あなたはその温もりを感じることはできない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?