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「 -不安の有無を作るもの- と-生きやすさ-」


とあるお坊さんの記事を読み「不安」について考えた
記事内容としては
人には「不足すると不安を感じる神経伝達物質セロトニン」の量を調節する「不安遺伝子」があることが確認されている
29カ国対象の国際的調査の結果
少ないのはアフリカ人、中くらいが欧米人、
多いのがアジア人

ランキングトップ3が
1位 日本人
2位 韓国人
3位 中国人

ちなみにこの遺伝子を2本持っている人は
日本人は65%に対しアメリカ人は19%

これを見ると遺伝子的に日本人に不安な人が多いのは納得

不安はそれ自体は善でも悪でもないし
太鼓の昔から動物が危険から身を守るために発達したものであり
人間にはあった方が良い時もあるだろうし
何かに挑戦する時には無い方が良いだろう 
それぞれ快適に過ごせる割合は状況により異なるし
不安があるのにないものとするのには無理がある

そして不安に関して
私自身について考えてみた
この「不安のなさ」は一体何なのか

いや無いわけではない
感じにくいのだろう
いや違うな
そもそも頭の中の大半が常時
「どうすれば楽しくなるか」なので
「どうすれば不安になるか」に関する情報が少なく、アイディアが膨らまない
目の前に自分が不安になるための情報があってもスルーしているのかもしれないし
長年の思考のクセによりネガティブクリエイティビティが低い

私の場合は元々の性格もあると思うが
(小さい頃はのんびりで恥ずかしがり屋のもじもじ性質、性格は穏やか)

12歳の目の怪我からこっち
自分の人生で1番大事なことは
「楽しむこと」であり続けているので
全てがそこに向いているからというのが大きいだろう

例えば育児において
娘達にとっていい母親でありたいなどとは考えたことはなく
自分はどうすれば育児を楽しめるか
自分はどうすれば子供達と楽しく過ごせるかを考えている
自分本位で
いつもやりたいことをやっているのである

だから娘の発達が早かろうが遅かろうが
喜怒哀楽が激しかろうが
その状況を「楽しむこと」を考えてきたので
不安になることも
不安の代替感情としての怒りも少なめだった様に思う

ちなみに
「どうしよう」
という言葉

不安な気持ちになりきって

楽しい気持ちになりきって

試しに
それぞれ口に出してみて欲しい

不安な「どうしよう」は
視線は下になり思考が止まり身体も硬く固まる感じがするのではないだろうか

楽しい「どうしよう」は
視線が上向きになりワクワクしていいアイディアを生み出そうと頭のあちこちがクルクル動き出す感じがするのではないだろうか

この辺りは人それぞれ感覚が違うと思うけれど

上を向きながら不安を感じることは難しく
下を向きながら楽しさを感じるのは難しい

なぜならば
上を向くと脳は「開」の状態になり
下を向くと脳は「閉」の状態になるから

「上を向いて歩こう」は
色々な意味で涙がこぼれないようにする凄い歌だと思うし
実際歌うと涙が出てくる切なさいっぱいの
矛盾に満ちた素晴らしい歌だと思う

ということで
不安の有無を作るもの(楽しさの有無を作るものも)
遺伝子とは別の部分
姿勢や考え方やちょっとしたきっかけなど多々あり

人それぞれ
それを使いこなせるようになると
生きるのが楽になるのではないかと思う

写真は4年前の6/11 お茶会の後の神楽坂にて
若いな

https://lit.link/kaimizuki


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