_自ら決断する_ことの大切さを考えてみた_

「自ら決断をする」ことの大切さを改めて考えてみた。

皆さん こんにちは。

今日は、最近感じていた”決断する”という行為が人に何をもたらしているのか、生産性につながっているのかを少し考えてみたいと思います。

人は一日に35,000回も決断しているらしいです。

https://www.higooch.com/entry/decision-times

※9000回という確証はないみたい。。。

大量の決断を1440分のうちに行っていることになります。大なり小なり”決断する”ことを常に新しいモノで判断していくとなるとかなり大変だなぁと感じました。
最初は元気だけど、一日の後半はつかれていって判断が鈍くなる気がします。

だから朝活とか朝スッキリした状態の時に、できる限り難しい仕事をやるべきだ!という主張もうなづけます。

だから、習慣化していくと強くなれる。それは、大きな決断から小さな決断へと変わることを意味しているのだろうと思います。

自分にとって当たり前に変わること、決断を少ない労力で実行できるようにするという意味と解釈できます。

そういう意味ではたとえば満員電車に乗ってでも決まった時間に会社に行く!という行為をルーティーンにしてしまうと、仕事をする場所・時間について考える必要がなくなるので楽になる行為なんだと理解でき、洋服もスーツとワイシャツとかをルーティンにしてしまう、リクルートスーツという形でまとめてしまえば、まったく考えなくてよくなる、自らが必要な能力を最大限発揮するためにそうすることはきっと悪いことではないと思います。
ジョブスの衣装もほとんど同じモノを着ていたこともそうだったんじゃないかと推測できます。

なるほど!考えなくてよくするために習慣化させればいいのか!?

と思ったりするかもしれませんが、実はこの裏には、それらの行為をしているということを”自ら選択している”という決断が何より大事で、自ら何を選択し、どう貢献、生産性を高めていくのか、成し遂げていくのか、を考えて行動しなければなりません。

誰かがやっているからマネをしよう!と自ら決断します。だから自らそれに対してのフィードバックとか何を変えていくのかは常に自分で判断していく必要があるのです。誰かがやってくれるわけではありません。

そうやって一人ひとりが自分の人生・生き方・価値観をきちんと見つめてそれを軸に判断していく、個が強くなるということは決断し推進できる強さを持つこと、当事者意識を持つことだと思いました。

昔の日本人の理想の姿は、年功序列で給料も上がっていき、9時-17時で働き残業もありながらも、生活ができる、というイメージがあったと思いますし、その固定観念はいまだに残っていてそれを選択してもらえれば幸せになれる、だから、大半の方々はこうなろう!と思う方もいたのではないかと思います。しかし、それが今度は多様になってきました。というか、日本人はこうだよね!というイメージが全員バラバラであり、それを許容していく社会に変貌を遂げようとしています。

そんな社会において、ワクワクをしたり、楽しんだり、価値提供していくことを考え決めるのは”自分”です。それを一緒にしたい仲間が集まるのが企業になり、そこから発せられる価値提供が「好き」につながる。そういった企業と個人の関係構築が本質的な企業経営の根幹になっていくんだろうなと思います。


この記事を読んでくださった皆さん!どうもありがとうございます。このブログはみなさんにシェアしたい内容を書きなぐる感じになると思います。 公開メモみたいなものですので、スキボタンを押していただいたり、SNSでシェアしていただければ嬉しいです。コメントもお待ちしてます。