【小説】第8話 折り紙

「景、どう?」

 二階の子供部屋ではなくリビング――考成と香澄の目の届く位置で遊ばせている景に、電話を終えてから香澄が改めて振り返った。すると景が、折り紙で出来た鶴を両手の上に載せて、香澄に差し出した。羽は閉じたままだ。景は満面の笑みを浮かべている。

「わぁ、上手。本当に景は手先が器用だね」

 近くに立って両膝に手をつけ、香澄も笑みを返す。

 出かけるでもないのに本日も隙なく黒いスーツとネクタイを着ている考成も、何気なくその鶴を見た。

 朝食を終えて歯磨きをしてから、既に景はいくつもの鶴を折っている。その色彩は様々で、完成すると段ボールの箱に景が入れている。200サイズの大型の段ボールなのだが、そこの三分の一は、5cmサイズのとても小さい折り紙で折られた鶴で埋まっている。それも機械で生み出されたかのように、寸分の狂いもなく精巧な鶴に見える。果たして己が三歳の頃、このように器用な作業をこなせただろうかと、考成は考えてしまう。

「うん! 保育園でも褒められたんだよ」

 嬉しそうに両頬を持ち上げている景の柔らかな髪を、香澄は静かに撫でてから、その隣に座った。

「私も折ろうかな」
「ううん。ぼくが折る。ぼくが折って、香澄ちゃんにあげるんだから」
「それじゃあ私は楽しみにしておかないとね」

 微笑ましいやりとりをする二人の光景に、考成が溜息を押し殺す。危機感がまるで見えない香澄の様子に、苛立ちが無いと言えば嘘になる。反面、子供の前で過度に怯えを見せないのは、相応の気遣いにも取れるから、糾弾する気にはならない。複雑な心境の考成の肩を伝って腕を歩き、彼の膝の上にクロが飛びのる。本物であれば、生後二ヵ月程度の仔猫の体に内蔵された生体AIが、考成にしか聞こえない声をその時放った。その声音は、笑みを帯びていた。

「平和だね、考成」
「……そうだな」

 確かに香澄と景の様子は、平和そのもののようだった。
 今までの多忙な日常から、急に穏やかな家族風景の中に、紛れ込んでしまったかのような心地がして、正直落ち着かない。考成が生きてきた日々には、このような緩やかな時間は存在する余地がほとんどなかった。

「暇だね」
「事件は起きない方がいいだろう」
「それは本音?」
「当たり前だ。犯罪行為は未然に防げるに越したことはない」
「模範的だよねぇ、考成は」

 楽しそうにクロが言うと、考成は仔猫から顔を背けた。事件を待ち望む捜査官が、いないわけではない。警察関係者が暇だというのは、事件が発生していないからだと考えれば、良いことにほかならないはずなのだが、現実は様々だ。

 ただ、焦りがないとはいえない。今、こうしてソファに座っているこの時分においても、敵の魔の手は忍び寄ろうとしているのかもしれない。だが何も出来ない以上、後手に回るしかない。考成は腕を組むと、気怠い顔で瞬きをした。

 ――果たしていつまで景の気は、折り紙で惹けるのだろうか?
 それが考成の関心事だった。きっとすぐに飽きる。外へ出たいと騒ぎたてられたら、面倒なことになる。右手の指で、苛立つようにスーツの上から組んでいる左腕を叩いていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?