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ナチュラル・ボーン・弟子

ど根性ガエルでいうところのゴロー。寅さんでいうところの蛾次郎。『ナウシカ』のクシャナの参謀クロトワ。


自分のこの真性弟子体質はどうだろう。弟子がいい。控えていたいのだ。
下剋上などまるで興味がない。愛する存在を裏切り踏みにじるなど絶対にしたくない。その存在より先んじよう、勝ろうなどと考えたこともない。妬みや羨望、嫉妬という感情が生まれつきほとんどないのもあるかもしれないが。(その素晴らしい存在は、私の所有物などであろう筈がない。まずはその人のものであろうし、豊かな知識や包容力のある性質などは誰のものでもあって良いだろう。その人が選ぶことが何より尊重されるのがいいな。例えば神社や聖堂や神木や川を個人所有にしたいと欲するバカがどこにいる?)
ただ、あんまり師が横暴だとその方は松島トモ子のような目に遭うことはある。「ペット」の猛獣に首噛まれたアレね。


が、こっちはね。
たとえひどくヤなことされてシャーッと怒って引っ掻こうが、そんなの根に持ったりしない。セブンにタバコ買いに行って戻ったら、
「ん?なんだっけ?」
ってなってるし、寝て起きたらげんきになってる。


私は幼少期から、とても優秀な「弟子」だった。
教える側の人々の性質はしかし、瞬時に見抜きもした。
この人手抜きで教えている。こんな仕事イヤだと思っている。この生徒めんどくさいと思っている。この生徒うまそうだ食べてしまおうと企んでいる。よこしまな色とにおい。
見抜くとそれまで真面目だった筈の私は必ずや牙を剥き、逃げ出した。


半世紀生きてきて、この人、と思える「師」に数人出会えたのは、やっと中年になってからだった(人間以外の物、道具や生き物もある)。
ピアノ、清掃、心の持ち方、トラブルの避け方、過去や現在や未来の見方、笑い方。
中年以降の習得は早く、応用すれば師も周囲も舌を巻くほどだったが、私はずっと下っぱでいたかった。
敬愛する師のそばに仕えていられればよくて、給料なんかハッキリ言ってどうでも良かった。
逆に(もらっちゃっていいのかなあ?教えてもらってこんなに可愛がってもらってるのに…)と思った。


いつまでも小さなpuqilのまま。
そうして優しく指導され、伸び、上手と撫でられて目を細めてすり寄る。
それで大満足。



そうして(このひとは❗️)と惚れ込んだ師は、ただ一つの技術を伝えるのみでは当然ない。
続々と死んでいたシナプスが息を吹き返し連携するのが分かる。それを肉体に反映させることが出来るようになる。感情とのバランスを学ぶ。波と、繋がりと。
私の作り出すものにやがて血が通い、私の香りが漂い、私の歌聲がかすかに響く。
私だけが知る私の色が透ける。別にアートだけに限らずね。
良き師匠とは、この凡百にそこまでやすやすとやれる力を引き出させて私を解放し、笑うのだ。ほら、出来たでしょ?カンタンでしょ?楽しいでしょ?
私の魂は嬉しくて有翼の子猫のようにそこら中を飛び回る。
力は枯渇するどころか溢れ出して止まらない。歌も踊りも止むことはない。
その力と笑いを、師のも私のもひっくるめて多分別名、愛というのだろう。


だから、そこまでの高級な人物を突如喪う激痛を幾度か経験した時、私はそれこそ龍のように荒れ狂った。
が、「上の上」、天はそれすらじっと優しく見守っていた。
私が誕生の初めからこの長大ないばら道を選んだことも知っていて、やり切れると難なく信頼してくれていた。
だからいまも私はここにいて、虹ばかり見つけては笑っている。
虹のように流れがちな肉体を保っているのは困難なこともある。
でも私には家がある。
世界中のどんな高級リゾートホテルより王家の宮殿より素晴らしい家が。
それは生死に関わらず慕う、最高の好敵手でも親友でもある師たちの心。
そのすべてのハートとソウルは、私の心の中のお城。いつも、みんな一緒。


ああ、呼んでいる。呼んでいる。私の中から、そして外から、一緒に遊ぼうと。
猫や鳥や虫や気のいい隣人の姿を取ることも、ある一輪の花や水滴であったりもし、作った料理に忍び込んでクスクス楽しげに笑っていることもある。
恋しい男性、夫はそれらの代表となった。
年齢?姿?みんな美しいままよ。


だから私、ゴローで蛾次郎でクロトワでいたいわ。自由でいるためにね。

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