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美酒とソウルが出来るまで

極上のお酒。
それを作るためには、厳選した材料の雑味を削ってコアのほんとうに美味しいところのみにしていくと聞いた。気の遠くなるような手間と時間をかけて。穀物や葡萄からと考えると、当然休みなしの重労働・農作業も含まれる。


いいお酒はとても高価だから、飲んだ経験はあまり多くない。ただ、口にした時の深い味わいや、月へと浮揚してしまうような品のいい酔い心地はすぐ思い出せる。


見てきた限り、人間でもいい女やいい男というのは、そういう上等のお酒と似ていた。
見た目も言動も暮らし方も考え方も、粉飾や齟齬がなくシンプルだった。
見ていて、話していて気持ちがいい。余計なものを欲しがらない所も共通していた。
削りに削って、美味なエッセンスのみを選んでいる純粋なソウル。
それには美酒同様、つらいトラブルも喜びもすべて経て、年月をかけて熟成されてきた経緯が必ずあった。
(そもそもベースとなる上質の穀物や果実が出来るためには、厳しい寒暖差や荒地を生き残ってこれる強さが必要だ。)


中には腐れてしまうものもある。だがそうならずに生き残って、ついに日の目を見たものは澄んで美しい。大変な手間は素晴らしい味を引き立てる要素の一つとなって甘(うま)い。そういう人物がたいていハードな苦労もすべて笑い話にしてしまっているように。
美しいソウルは、形成のされ方も美酒と似ているんだなあ。


かくあれかし、自分も。
けれど若いうちは、単にモテたりウケたいためのラベルやボトルの粉飾ばかり。
でもそれだけじゃ。そんなの本当はどうでもいい。「最高であるべきなのはびんの中身」。
何年も何年も経ち、ふと気づく。
好きなひとに、旦那さんだけにモテればいい。かれもまた澄んだ美しいソウルの先輩で、私の外側がたとえばもし太ろうが老けようがお互い様だよと笑う。私のソウルを愛でてくれている。こんなおかしなやつなのに…?



ではなんのために、わたしは今なお「それ」に向かって心たゆませずにいるのか。
何が望み?もうそんなものもないのに。もうすべて与えられていると知ったのに。
善人になって極楽に行きたいからとか?


善人なんかじゃないし、極楽なら「ここと今」だ。かつては地獄であったこともある、私だけのフィールド。
死んでからもいい思いしたいなんて?知らないわ、そんなのなるようになるし。毎日気持ちよくありたいだけ。
それに、厳選した愛するものたちも一緒に毎日、気持ちよくあれたらいいと思うだけ。
そのための行動は、気をつけて隠れてやる。小さなことだけれど。
かつて私が見知らぬ人や生き物や草木たちにしてもらった優しいこと。何度も助けられた。
同じことを脊髄反射的にやってるだけで何も考えてない。報酬0円、だから期待も執着も義務も生まれようがない。料理や掃除、ダンスやピアノや生け花や文章書きは趣味だから、それと同じこと。楽しいからやるんだもの。


たとえばそこで困ってる人がもし愛する人なら問答無用で手を貸すように、誰にでもする。
そこを通るのが愛する人なら毎日綺麗にしてあげたい。そう想像するともうウキウキでやっちゃう。
そうやって外世界と小さな自分の世界のふちを溶け合わせてる。
その花を見るのが愛する人と私なら、花たちとも一緒に楽しんで最高に美しく生けたり育てたりしてあげたい。(お花を綺麗に生けるコツや、掃除や料理や演奏などをうまくやるコツなんて多分ない。好きだからなるべく優しく大切に扱う。あまり上手でなくてもいい。厳しい気持ちで「極めよう」なんて思わない。つまんなくなる。やる気なくなる。楽しくしたいの。)
そして二人で、花を眺めながら美味しいお酒でもいただいて、ゆっくり語らえたら。
それ以上の寛ぎ、憩い、喜びなんてない。



私のソウルは、前より「美味しいお酒」になれてるかしら。
いつもは、あんまり何も考えてない。
クヨクヨしたら可愛くなくなるもんね。


夫・T兄が来月戻るのに備えて神棚に上げてある、純米大吟醸。
封の中の高貴なお酒は、何を考えてるのかしら。
少なくとも純粋なるものは人であれそうでないものであれ、妙なたくらみなどない。
のんきに優雅に気持ちよく、ただそこに在るだけのように思える。

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