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新年・水宮の誓い

あけましておめでとうございます🌅
謹んで新春のお慶びを申し上げます🎍

お正月飾り。龍と紅白梅の折り紙と切って作った紙垂を100均の水引きにくっつけたもの。ドアにかけています。


新春のドアのご挨拶絵。今年はこんなのを描きました。


と、いうことで元旦。年神さまはT兄の親友の姿を借りて実際に訪ってくれた。
何より、純情で悩めるT兄はご親友といるととてもリラックスしてよくしゃべりよく笑い、ご親友もほんとうに心から彼といることを楽しんでくれるのが分かる。高価でとても美味しいお土産を来るたび山のように携えてくるので恐縮してしまうが、リアル年神さまである。T兄はもしやその彼と知り合った前の晩に、雪降る峠のお地蔵さまに傘をかぶせたりしたのだろうか。あり得なくはない。



日中連れ立って初詣に出かけたものの、空前の人出。
「何コレ❓俺が初めて来た頃なんか静かなもんだったのにどーゆーこと⁉️」
「スピリチュアルの大流行で、ここ色んなYouTuberとか有名人が紹介しちゃって」
「あ、歩けないよう」
「あの金色の全身タイツの人、テレビかな?」
「多分YouTuberじゃない?ねこも屋台の何か食べたいけど買えない〜」
などと言い合いつつ、数時間並ぶのはさすがにやめようと帰途についたナイスミドラーズ。
「大丈夫ですよ。この神社さまに来るだけ来られたんだから厄全然祓えちゃったし」
「それもそうだね」
そして帰って、お土産のパンやケーキをぱくついた。その美味しいこと❗️甘いものが苦手な私が目を瞠(みは)ってもぐもぐ。



そんな元日。
穏やかな快晴。
神社にはカイト(私が名付けたトンビ)と恋人or奥さんの飛優(ひゆう)はじめ一家が上空で出迎えてくれたし、素敵な晴れ着の人々も眺められて。

☆☆☆☆☆

新年の誓いみたいなものは、師走の末に覚醒夢で見て決まっていた。
浮かんだ言葉がいくつか。



浮く
中心
呼吸
中今(なかいま)
笑う、笑いゑらう(笑って楽しむ)
自他すべてにリスペクト



浮け、というのは、どうやらつい力みがちな私へのアドバイスらしい。
水にちなんだ生まれと人生にこの名もそうだが、水中で力めば誰でも溺れる。力を抜いて浮けばいい。あとは自在になる。
何か日常でしんどいな、というようなことが少しでもある時は、即座に自分に唱えることにした。
「浮け」
天井くらいまでではダメ。最低でも屋根の上、場合によっては別の天体まででもいい。その場から意識だけすうーっと息を吸って問答無用で浮かせてしまう。逃げでもあり、引いて見るということでもあり、するとたとえどんな厄介ごとがあろうとどーでもええわとなる。あとは体が続行している作業に任せる。上から、眺めてる。
ラクになる。
感情のコントロールが幼少期からの課題だったが、これで格段にカンタンにそれが可能になると分かった。
浮く、というのは色々いい意味もある。たとえば亡者が浮かばれる、なんて言う。ウキウキとか、嬉しい気分。フアフアすいすい空を彩る美しく愉快なものたち。水に浮くのも空に浮くのも変わらない。


中心というのはおへそのことらしい。トカゲ(私の教育係兼アニムスで「上」の言葉を持ってきてくれる存在。
過去記事参照)らがなんぼ「丹田」と言っても私が分かんないので、「もーじゃまずヘソを意識しろ」とのこと。
すると、なーんだここ、と分かった。そこに意識を集中して深く呼吸する。
ヨガはやったことないけど、カウント下手な私でもそこを意識して気持ちよーく深く吐いて吸うならすぐできた。しかもコレが抜群に効く。まずリラックスするし、痛みに即効❗️というのは前から分かっていた。
(実はいまひざを壊していて涙が出るほど痛え。まだ痛いが、痛み止めには呼吸をもちいる。ロキソよりダンチで速いし確実気持ちいい)
ついでに言えば脚を故障したことでそーっと動かざるを得ず、これがついやりすぎ力みすぎを完全に止めてくれた。お休みを、多分「上」がプレゼントしてくれたのだ。お正月だし。

そうして動く時、かねてよりモットーにしていたが中々出来なかった「のんきに優雅に」が出来ると分かった。能楽師とか、パ•ドゥ•ドゥを舞うプリマはこんな動き?いやひざ壊してヒーヒー言ってるプリマなんかいないが、優雅なていでしないと痛いのよ日常の一挙一投足が。それらが連鎖的に歪みのない姿勢やリンパの流れなどを体に理解させた。もちろん、私のオリジナルレシピのセルフ治療も。体側にある大きな流れ、温度差、意外なところにふとあらわれる固さ。その日のうちに撫でて流してしまう。猫や犬が体を舐めて治すのはなぜか?血流だ。水の滞りを自ら流してる。傍目から見ると私は、おふとんの中で脚や腰をなでなでしてほやあ〜と笑ってる少しアレな人でも…。
そうしてのんきに優雅にしていると、周りの人も安心するようだ。T兄の眠ること眠ること、可愛いイシモチ(魚)の鳴き声そっくりのいびきでずーっと深く眠っている。眠りは最大の癒し。
だから中心と呼吸。



なかいまは今していることにただ集中する神道の考え方。中今。
だいたい不安や恐怖、憂鬱や後悔や孤独やらの感じたくない感覚は、いまスープを作ってるとかいま床掃除してるとかに集中したら即、消える。
で、集中度が増して確実になるしうまくいくのでテンションが上がったまますっきり作業を終えて気づくと、
「ん?なんだっけ?」
ってなってる。
本当に猫になってしまったよ私は。
よくない未来を勝手に想像して怖がったりクヨクヨしたり、過去や人や誰かの言動を気にし続けるとかね。つまらないよ水音。「今」からそれを積み上げるのにその土台をダメにする気?
あと、さみしいとか孤独とか後悔。
人に関係する孤独なら私はほうきや洗濯機や部屋中の道具たちや草花としゃべってんので(T兄は、ある程度あきらめてくれた模様。私も出しすぎないようにしているが、道具を大切に扱う職人魂は彼もよく知っているものなのだ)超楽しい。
鳥が飛んできてくれたりするととても嬉しいし、猫に会えるともっと嬉しい。草花を眺めると目が覚めるような喜び。
後悔に関しては、意識で書き換えてしまう。昔、あのあと私と誰それは、実はいつまでも仲良く幸せに暮らしましたとさ。
これを目覚めと眠りのあわいにやると、そのパラレルの実在を感じ、向こうもそう感じているのを感じ、「よかった。ありがとう」と笑える。あとは就寝するか一日の営為に向かうのみ。



笑う・笑いゑらうは何年も前に呼び止められた神さま(アメノウズメノミコト)に言われた言葉。私にそれをやれと。しかも踊って。
炭坑節とマイムマイムしか知らない私に何をおっしゃるかと思ったが、今はかなり踊れるし、それによって体の歪みを取っていくとか柔らかくするとかを趣味にしている現在だ。
そして笑うとね。
痛みが取れるのよう。
周囲も笑うし。
自他すべてにリスペクトはすべて自分で心安く整えれば自然とそうなれる。



そしてすきなひととほんとうに恋をすることになる。



トカゲは龍に化けたのかしら?

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