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あいトリレビュー④四間道・円頓寺 重いテーマに言葉を失う

あいちトリエンナーレレビュー、ラストです。名古屋駅から歩こうと思えば歩ける……ぐらいの四間道・円頓寺エリアについて書きます。

これまでのレビューは「情の時代」に着目した作品について振り返った①アートで社会課題をとらえなおす、喜楽亭に圧倒された豊田エリア②旅館と戦争の記憶が一体化、名古屋市美術館で考えた③生まれる・産む、ジェンダーとはの3本。

四間道・円頓寺エリアは商店街や長屋、県の指定文化財がアートの舞台になっていてとても面白かった。観光や出張ついでにふらっと行けそうだったし、アクセスしやすいのは都市型トリエンナーレならでは(瀬戸芸のように島にふらっと行くことは難しいし)。そして喫茶店「なごのや」さんの、あいトリの色を再現したソーダが炎天下を歩いた体にしみた~

しかしテーマはこのエリアが一番重かったんじゃないだろうか…。まずは言葉が浮かばなかったあの展示から。

わたしたちが日常で使う「クルマ」の加害性

弓指寛治さんの「輝ける子ども」。

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2011年4月、栃木県鹿沼市であったクレーン車の事故がモチーフになっている。持病のあった運転手の男性が発作を起こし、集団登校の列に突っ込んで、小学生6人が亡くなった
運転手は過去10年間に12回も事故を起こし、免許の更新時にも病気を申告せず、当日は薬も服用していなかった

弓指さんはご家族への聞き取りや写真をもとに、絵や詩で亡くなった6人がどんな子どもだったのかを表現していく。
デアゴスティーニの「鉱物シリーズ」が好きで全部集めた愛斗くん。

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わたしは愛斗くんが書いた詩が胸に刺さりすぎて、その前から動けなくなった。

生きぬく
生きるってことは、かんたんにかんじるけど
ほんとうにかんたんなことかな、
どんなかなしみがあるかわからない
どんなくるしみがあるかわからない そんなところでいきなければならない
でもそのことにたえ ひっしに生きぬいた人こそが、どんなことよりすばらしいことだとおもう
きみも生きぬけ

「きみも生きぬけ」。小学生で命を奪われた愛斗くんの詩を忘れないでいたい。かなしいこともくるしいことがあっても、わたしはひっしに生きぬきたい

弓指さんの作品は、加害者側にも取材し、考察を深めているのが印象的だった。そして事故を起こしたクルマのインスタレーションもあった。

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クルマを運転するとき、わたしだっていつ「加害者」になるか分からない。だけどなぜか、「自分だけは事故を起こさない」と思いがちだ。

胸がずーんとなりながら会場を出て、すぐ隣の展示会場でも、また落ち込むことになった。

台湾のお年寄りが覚えている「日本のうた」

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毒山凡太朗さんの「君之代」。台湾は1895年から50年、日本統治下にあった。日本の教育を受けたお年寄りに「日本の歌で覚えているものはありますか?」と尋ねるもの。
今でも教育勅語をペラペラと言えるおじいさん。怖かった日本人の先生の思い出を、涙ながらに振り返るご夫婦。同期の桜を朗々と歌うおじいさん。とぎれとぎれ、君が代を歌うおばあさん。

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わたしも大学生の時、台湾・台北に旅行へ行って、タピオカ屋さんで出会ったおばさんがフレンドリーに日本語で話しかけてくれたことを今でも覚えている。
今年訪れたパラオにも、「bento(弁当)」や「hikojo(飛行場)」とか現地の言葉に日本語が残っていた。「親日国」とか言われるけど、それは地元の人たちが言うことであって、わたしたちが言うことではないんだろうな…。過去に自分の国が何をしたのか、ちゃんと忘れないでいたい。

「自分の名前」を叫ぼう!

キュンチョメさんの「声枯れるまで」

生まれたときの身体の性別に違和感があり、性別を変え、親からもらった名前を変えた3人にインタビューしている作品。

中性的な名前にしたかったという「June」さんが印象的だった。

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確かに、名前って強く「性」が出てしまうよね。わたしは「梓」という自分の名前がすごく好きなんだけど、その理由の一つに女性っぽすぎない、ジェンダーレスなところ、があるなと思い至った。
女に生まれたくなかったなぁと思うことが多かったから、もしいわゆる〝女性らしさ〟が全面に出た名前だったら嫌だったかもなぁ…。

インタビューに答える3人の笑顔も心に残っている。キュンチョメさんたちとの関係が浮かび上がるようだった。

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インタビューの最後。「あなたの名前はなんですかー!?」とキュンチョメの2人に問われ、それぞれ大声で「自分の名前」を叫ぶ。
「自分」の存在を思いっきり叫ぶ、なんだかじーんとした。

道路に自分の名前をつけちゃった

そんなことしちゃう??と思った発想の勝利シリーズ。

中国の作家さんが、名も無き路地に自分の名前「葛宇路」をつけちゃって&標識を建てて、いつの間にかそれが定着し、Googleの地図にも載るようになった、というアート。

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「実は自分が道路に名前をつけました」とばらしたところ、当局が標識を撤去、地図からも道路の名前が消えた……というお話。

そう考えると地名や道路の名前ってどう決まるんだろうなぁ。勝手につけるのはいいのかなぁ、とかモヤモヤ考えた。

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タブラ奏者のユザーンの修行の場があったり、商店街がコラボメニューを出したり、いろんな試行錯誤のあったエリアだと思った。

それぞれのエリアに面白さがあって、わたしはあいちトリエンナーレ、心から楽しんだな~。3年後どうなるのか心配だけど、いち観客としては、どうか今回のような胸に残る展示を維持してほしいなぁ。

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