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トマトと楽土と小日本 ~賢治・莞爾・湛山の遺したもの~

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2021年に石橋湛山平和賞を受賞した論文の再掲です。長いので何回かに分けて連載します。おつきあい頂ければ幸いです。
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記事一覧

トマトと楽土と小日本 ~賢治・莞爾・湛山の遺したもの~⑨<最終回>

朝鮮戦争が勃発し、サンフランシスコ講和条約で日本が米国との安全保障条約とセットで一応の独…

水埜正彦
2か月前
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トマトと楽土と小日本 ~賢治・莞爾・湛山の遺したもの~⑧

戦時中における非合理的精神論の代表とされ「生きて虜囚の辱めを受けず」のフレーズで知られる…

水埜正彦
2か月前
8

トマトと楽土と小日本 ~賢治・莞爾・湛山の遺したもの~⑦

賢治が享年37歳にして壮大な未完の生涯を終えた1933年、日本はリットン調査団報告に基づいて満…

水埜正彦
2か月前
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トマトと楽土と小日本 ~賢治・莞爾・湛山の遺したもの~⑥

湛山が満州放棄の論陣を堂々と張り、莞爾が柳条湖事件で強引に満州領有へと踏み切り、五・一五…

水埜正彦
2か月前
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トマトと楽土と小日本 ~賢治・莞爾・湛山の遺したもの~⑤

ところで、同じ日蓮思想をバックボーンに持ちながら、莞爾・賢治・湛山の三者の思想と行動が、…

水埜正彦
2か月前
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トマトと楽土と小日本 ~賢治・莞爾・湛山の遺したもの~④

莞爾の満州建国構想に対して、早くから満州放棄論を唱えていた石橋湛山に話を戻そう。満州事変…

水埜正彦
2か月前
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トマトと楽土と小日本 ~賢治・莞爾・湛山の遺したもの~③

莞爾と同年に国柱会に入会し、やはり理想社会の建設を夢見たのが宮沢賢治(1896-1933)である。だが、そのために彼がとった行動は、莞爾のように大掛かりなものではなく、まずは自分自身がひとりの農民として耕作に勤しみ、そこから一歩ずつ改革を進めていこうというものだった。莞爾が遠く大陸の地に理想の実現を求め、そのために性急な軍事行動を起こしたのとは対照的に、賢治はあくまで岩手の地に根を下ろし、新たな作物や品種の普及、土壌の改良、農民芸術の創生などという気の遠くなるほど迂遠な、しか

トマトと楽土と小日本 ~賢治・莞爾・湛山の遺したもの~②

ここで湛山と同時代を生きた軍人・石原莞爾(1889-1949)に焦点を移したい。山形に生まれ、仙…

水埜正彦
3か月前
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トマトと楽土と小日本 ~賢治・莞爾・湛山の遺したもの~①

2021年に石橋湛山平和賞を受賞した論文を再掲します。昨年は石橋湛山没後50年にあたり、各方面…

水埜正彦
3か月前
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