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連載日本史280 アベノミクス

東日本大震災の5ヶ月後、菅首相が退陣し野田佳彦首相が就任した。「社会保障と税の一体改革」を掲げた野田首相は、自民党・公明党との三党合意を取り付け、消費税率を段階的に上げる消費税関連法案を成立させた。だが、その過程で党内の反対派が民主党を離れることになり、さらにその後の大飯原発の再稼働で従来の支持層からの信頼を失い、外交面では尖閣諸島の国有化を巡って中国との緊張を生んだ。内閣支持率は次第に下がり、2012年暮れの解散総選挙で惨敗した民主党に代わって、自民党・公明党が連立政権を組んだ。

アベノミクス期の景気回復の実態(www.tokyo-np.co.jpより)

自民党総裁として政権の座に返り咲いた安倍晋三首相は、リーマン・ショックと東日本大震災で沈滞状況にあった日本経済の再生を掲げて「アベノミクス」を提唱した。これは、異次元金融緩和・財政出動・成長戦略の「三本の矢」を組み合わせて慢性的なデフレを脱却し、景気を上向かせようとするものであり、特に第一の矢である金融緩和では日銀主導で超低金利への誘導を行ったため、株価は一気に上昇した。しかしこれは、いわばお金を大量に市場に供給して人為的なインフレを作り出すことで景気を向上させるという、かなり強引な手法であった。第二の矢である財政出動も全国での公共事業を増やすことで建設関連の需要増を生んだものの、財政赤字を更に膨張させることになり、また建設業界の深刻な人手不足にもつながった。東京オリンピックの誘致もあって、結果的に東北地方の復興事業を遅らせることになった面は否めない。第三の矢である成長戦略も一部の産業にとどまり、株価の上昇に見合うだけの実体経済の向上は見られなかった。すなわち、数字の上では景気は回復し、一部の投資家は儲かったが、多くの国民にとっては実感の伴わない改革となったわけだ。しかも、その副作用は将来世代への先送りということになりそうである。

旧民主党を巡る変遷(news.yahoo.co.jpより)

短命に終わった第1次安倍内閣とは異なり、第2次安倍内閣は次の参議院・衆議院選挙にも勝利し、第3次・第4次と組閣を重ね、佐藤栄作首相以来の長期政権となった。この間、TPP(環太平洋パートナーシップ)への参加や普天間基地の移設を巡る問題、戦時中の従軍慰安婦問題を巡る韓国との軋轢、それに首相自身の森友学園への国有地の不正売却や加計学園への便宜提供に関する疑惑など、さまざまな問題を抱えながらも何とか政権を維持できたのは対抗する野党勢力の弱体化によるところが大きい。政権を失ってからの民主党は、劣勢を挽回しようと新政党の維新の党との合併に踏み切り、民進党を結党して野党連合による自公政権への対抗を呼びかけたが、そもそも民進党内部の意思統一さえもままならず、徐々にその影響力を失っていった。憲法解釈の変更も伴って大論争となった2015年の安全保障関連法案の審議においても、野党の立場はそれぞれ異なり、結果的に政権側の強行採決によって法案は成立した。権力の独走に対するブレーキが十分に機能しない状況が生じてきたのである。

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